「美鶴。風呂へ入っておいで」
「はい。じゃあ、そうさせてください」
スーツケースから下着とパジャマを取り出した。化粧水と乳液が入ったポーチも持っていく。東京の冬は美鶴が想像していた以上に温かく、厚地のインナーの出番はなさそうだ。
脱衣所へ行き、説明されたとおりに洗面台の横の棚を開けた。同系色のタオルがきれいに並べられている。そこからバスタオルを一枚出して美鶴は風呂のドアを開ける。湯は自動ではられていた。バスタブは足を延ばせる大きさだ。
「本当にホテルみたい。テレビも付いてる」
所々剥げたタイル張りの狭いふろ場。水圧の弱いシャワー。それが日常だった。透と出会わなければ知ることもなかった都会の暮らしがこれから始まるのだ。夢のようだと美鶴は思った。もしかすると本当に夢なのかもしれないけれど。
「お風呂、ありがとうございました。透さんが出たら私が掃除しますね」
「そういうのはハウスキーパーにお願いしているんだ。水回りと部屋も全部。だから美鶴はしなくていい」
「じゃあ、食事の準備くらいさせてください」
「それもしなくて大丈夫だ。美鶴に迷惑はかけないから安心して」
それから一週間分の生活費として十万円を現金で手渡された。食費を差し引いても有り余る金額だ。
「ありがとうございます」
「それから、明日は十一時過ぎに家を出たいからそれまでに準備しておいて。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
美鶴は部屋に入ると窓際に立ちレースのカーテンを開けた。目の前には東京の夜景が一面に広がっている。
「きれい。夜なのにこんなに明るいなんて……でも星は見えないんだ」
街頭すらない地元の、空の美しさを思い出す。急に養父母のことを思いスマホを手に取った。時刻は二十三時。二人はもう寝ている時間だ。
夜景を一枚写真に撮ると、ずっと更新していなかったSNSにアップする。“引っ越しました”のコメントを添えて。それからベッドにもぐると美鶴はゆっくりと目を閉じた。


