見慣れたはずの風景が少しいつもと違うように感じる。それはバレンタインというイベントに周囲がどこか落ち着きがないように見えるせいか、それとも静かに主張してくる右手の中の箱のせいか。

「おはよう、三宅」
「あ、藤倉先輩おはようございます」

下駄箱の手前で涼やかな声に呼ばれて振り返る。
陸上部の元キャプテンであり、その爽やかイケメンなルックスとストイックな性格で部活内外男女問わず驚異的な人気を誇る藤倉直哉先輩だ。引退しても時々部活に顔を出してくれているため、あまり接点のなかった一年生ですら虜にしてしまうカリスマぶりである。

「今年もご苦労だね」
そう言った先輩の視線は私の右手に注がれていた。
もちろん引退されたとはいえお世話になっている藤倉先輩の分もしっかり作成済みである。

「いえ、作るのは好きですから。あ、ご迷惑でなければ今お渡ししてもよろしいでしょうか?」
「俺の分もあるの?」
「もちろんです。先輩にはいつもお世話になってますから」
「完全に義理チョコって宣言されるのも傷つくなー」
「いやいや、先輩なら持ち帰れないほどの本命チョコがもう待ってますよ」
「こういうのは数の問題でもないんだけどね」

藤倉先輩でも本命からもらえないなんてことがあるのだろうか。
疑問が頭に浮かんだものの踏み込みすぎるのもどうかと思い、聞き流すように紙袋からチョコレートを取り出した。
トリュフとチョコブラウニーをセロファンで包み、赤いリボンを巻きつけた手のひらサイズのそれを先輩に手渡す。

「お口に合えばいいんですけど…」
「ありがとう。大事に食べるよ。…もう三宅のチョコを本命だって言って他の断ろうかな」
「えっ!?」
「全然知らない子にもらってお返しどうしようとか悩むのも面倒なんだよね」

それはまずいです藤倉先輩。そんな、それが私のチョコだって知られたら先輩のファンに……考えただけでも恐ろしいことになります!!

「ふ、冗談。そんな面白い顔しなくても。じゃあ、これありがと」
「あ、いえ…」

先輩はもう一度チョコを持ち上げて去っていった。私と話し終えるのを待っていたかのようにすぐに何人かの女子に声をかけられていた。

先輩、あんな冗談言う人だったのか。
確かに、藤倉先輩ともなればもらうチョコの数も半端じゃないだろうし、お返しを考えるだけで憂鬱になるのも分かる。モテすぎるのも考えものということか。

先ほどから全然歩みを進めていない先輩をちらりと見ながら、心の中で「頑張ってください」と声をかけて教室に向かった。