遠くでバイクの音が聞こえる。
楽しくて、幸せな時間はあっという間。
「今、何時?」
「3時すぎ。そろそろ帰らんとあかんのちゃうの?」
「まだ大丈夫」
“まだ大丈夫”
その言葉に安心してしまう。それと同時に寂しさも感じる。
もうすぐ、タイムリミット。
夢から覚めてしまう。現実に戻ってしまう。
「1分だけでいいからお願いきいてもらってもいい?てか、きいてもらう」
ふふっと笑って、高成が不思議そうな顔をするのを横目で確認する。
何か記念となるモノを。出来れば、あたし自身で覚えていられるモノを。
「なに?」
「怒らんといてね」
返事も聞かずに高成の肩に頭を乗せた。高成は何も言わず、ピクっと肩が動いた。
あたしの冷え切った両手で高成の左手を包み込み、温もりを感じる。
「嫌やろうけど1分だけやから。ちょっとだけ我慢して」
嫌なのはわかってる、失礼なのもわかってる。でもこれを記念に残したい。
高成のぬくもり、鼓動のはやさ、握った手の温かさを自分の全てで感じてみたかった。
どうせ夢ならば、目が覚めると消えてしまうものならば多少の我が儘も許してくれるやろう。
名残惜しいな、と頭を上げると、今度は人の手によってまた元の位置に戻った。
「別に、1分だけじゃなくてもいい」
頭を押さえられてて見えんかったけど、高成の鼓動の早さが少しだけ強く早くなった気がした。
「夢みたい」
そう、あたしは夢の世界にいる。憧れの人の隣で、その人のぬくもりを感じてる。
きっと二度と見ることの出来ない今だけの夢。
高成はあたしの頭に置いていた手を肩に回した。少し寄せられて、また心臓が跳ねる。
「どうして夢なの?」
「だって、夢物語みたい」
そう、今は夢の中。タイムリミットが過ぎれば現実の世界に戻る。その時、高成は隣にいないし、次の約束もない。
こうして隣に座って同じ時間を過ごすことなんて、もう出来ない。それにあたしは“ファン”であって、友達でも彼女でも何でもない。
せめて本当の友達なら、そんなことを考えてしまう。
「あのさ」
「なに?」
「いや、いいや」
「気になるなぁ」
でも、そんなことどうでもいい。
今、この瞬間が長く続ければ続くほど幸せを感じる。
時計を確認して、小さく息を吐いた。
「時間、そろそろ。眠くない?大丈夫?」
返事がない。
心配になってのぞき込むと真剣な目があたしをとらえた。
「また、こうして、会えない?」
高成の真剣な瞳。冗談とかじゃないことはわかった。それにこれ以上ない言葉だった。
「会えるよ。これからもライブに参加するもん」
「そうじゃなくて」
「うん。あたしも、ちょっと思った」
「うん?」
繋いでいた手が少し緩んだ瞬間、少し胸が痛かった。
現実へのカウントダウンがもう目の前まで来ている。
ずっと夢見てた。大好きな人の隣で歩くこと。
恋人とか憧れとか全部含めて憧れてた。それが芸能人であっても、憧れることは止められんかった。
芸能人なら尚更、夢見るだけならタダやし、妄想だってタダ。それだけで満たされてた。
それやのに、こうして夢のような現実の世界で憧れていた人が隣に座っていると思うと、もうその全てが現実じゃなくて、夢物語のようなひとときに変わる。
声も、温度も、存在すらも、隣にいるのに、本当はいないような遠い存在。
数時間前まではファンやった。
今だってそう。ファンには変わりない。憧れの人に変わりはない。
“次”なんて想像できない。あたしにとって今の状況や言葉はどこか“リアル”がない。だから、この気持ちが“恋”なのか、“憧れ”なのか、そもそも“現実”なのか、そんなことすらはっきりしない。
胸が痛いのは、現実から目を覚ますのが嫌なだけ。夢はいつか覚めてしまう。
繋いでいた手を強く握りしめた。もう感じることのないぬくもりや手の大きさを覚えておくために。
「数時間前、高成のライブを見てた。で、なんでかわからんけど、高成があたしを引きとめて牛丼を食べた。んで、ゲーセンで遊んで疲れたねってここへ来て、缶コーヒーを買ってくれた。そして、寒いからって高成は手を繋いでくれた。最後は、また会えないかって言ってくれた」
すごい嬉しい。
もう夢でもなんでもいいと思ってしまうくらい。
「あたし、高成のファンやねん」
高成は一度だけ首を縦に振った。
「そう、だから」
「は?意味わかんないんだけど。それとこれとどう関係すんの?」
「ん~、高成さ、付き合ってみたい!って思う女優さんっておる?」
「いなくはない」
「正直やな!高成が今のあたしで、高成がその女優さんにまた会えない?って、聞かれたらどう思う?でも、その人は高成では手が届かんような人。隣で座ってるけど、普通じゃ絶対ありえん人」
高成は少し考えて「驚く。んで、かなり幸せになるね」と、笑顔で答えた。
「今のあたしもそうなんよ」
静かに高成はあたしに顔を向けた。
あたしは高成のファン。たとえ高成があたしのことをそう思ってなくても。
「今はどうもはっきりせんくて」
わかるかな?わからんかもしれんな。だってあたしは一般人で、高成は芸能人。わからんくて当然のこと。
「わかった」
高成は長い息をはいた。
タイムリミットがきた。
大好きな人の手を離して、目の前に立つ。もちろん、笑顔で。
だって、大好きな人が前に座ってる。悲しい顔なんて見せられへん。
「時間やな!そろそろ帰らんと。今日のライブ、寝不足でうまくいかんかったりして」
満面の笑みを高成に向けるのに、そんな寂しそうな顔みせんといてほしい。
「ちょっと厚かましいけど、こういうのどう?」
せっかく楽しい話題で終わらせて帰ろうと思ったのに。そんな顔をされるとまた我が儘を口に出しちゃうやん。
高成は表情を変えず、あたしを見たまま。手を握って、振り払われるのを覚悟で話すことにした。
「この先あるかもしれんし、二度とないかもしれん」
あたしは解散せん限りライブには参加するし、ファンを続ける。こっちでライブするときは絶対あたし達は会える。
もし昨日のような偶然がこの先あって、その時もまだ、また今後も会いたいと思ってくれるなら、その時は・・・
高成の視線がだんだん地面に落ちてゆく。でも、この言葉の全てが、高成の表情が、あたしを“現実”に引き戻してくれる。



