――二〇二八年。

 東京オリンピックから早八年。

 僕は間もなく三十歳になろうとしている。東京オリンピックで金メダルを取った選手達のほとんどが引退し、後進の指導にあたっている。

 僕は大学卒業後、吹奏楽団へ入団した。日本でトップクラスの吹奏楽団である。

 ソングライターになるというある意味博打《バクチ》的な人生も考えた。音楽教師という安定も考えた。けれど僕は僕の夢を追う事にしたのだ。

 大学を卒業し夢に向かってオーディションを受けた。これがまた地獄のようなオーディションである。

 吹奏楽団は欠員が出ない事にはオーディションすらない。僕の場合はたまたま木管楽器であるアルトサックスに欠員が出た為、オーディションを受ける事ができたのだ。

 まずはパート毎にオーディションを受ける。木管楽器のスペシャリスト達である楽団員を前にして倍率数十倍のオーディションを通過しなければならない。けれどそこを通過したからといって入団できる訳ではない。

 最後に楽団員全員の前で再びオーディションを受ける。

 そして僕は晴れてそのメンバーになったのだ。けれど半年程の間は仮入団である。

 あれからもう八年も経ったのだ。そして今ではファーストも任されるようになった。

 なんだかあっという間にアラサーと呼ばれる歳になっていたけれど生活は充実している。

 海外遠征も多い為、婚約者である紗綾には寂しい思いもさせている。けれど紗綾も僕の事を応援してくれている。

 僕は絶対紗綾を幸せにしなければならないのだ。

 そして我が岡家の面々は、皆元気に暮らしている。

 五十も半ばを迎えた父は……父の頭はバーコードヘアにする事さえできなくなっている。今年のお正月、とうとうスキンヘッドにしてしまった。母からも妹からも、

「その方が格好いいよ」

 そう言われまんざらでもない顔をしていた。

 言うまでもないけれど、そんな父と母は今でも一緒にお風呂に入っている。

 そして妹は大学の頃から付き合っていた彼、いや、付き合ってもらっていた彼の寛大な心のお陰で無事お嫁にいく事ができたのだ。そして可愛い女の子を産んだ。

 親友の諒太は大学卒業後、中学の音楽教師になったけれど一年間勤め教師をやめてしまった。教師という仕事が嫌になった訳ではない。やむなく「ある理由」の為にやめたのだ。

 今は実家の近くで音楽教室の講師をしながら実家の材木店を手伝っている。

 今でもたまに会いお酒を飲んだりしながら愚痴を言ったり聞いたりしている。京香が十八歳で亡くなってしまって以降、僕の薄い胸を貸す事はなくなった。諒太にも彼女ができ楽しく過ごしいるようだ。

 そして僕と紗綾との結婚式が近付いている。僕の実家の近くに三十年ローンで新居を購入し、既に一緒に暮らしている。





 ――挙式当日。

 教会のバージンロードの向こうに純白のウェディングドレスを身に纏った紗綾が立っている。十七年前の二〇一一年、東北を襲った未曾有《みぞう》の大震災により、紗綾の両親は津波に飲み込まれ帰らぬ人となってしまった。

 本来新婦をエスコートするお父さんがいないのだ。お父さんの代わりに紗綾と一緒にバージンロードを歩いているのは紗綾の祖母、寮母さんである。今日からは僕にとってもお婆ちゃんになるのだ。

 一歩ずつ、いや、半歩ずつ、徐々に僕の方へと近づいてきている。

 そして僕の目の前まで来た。寮母さんはぽろぽろと涙を流しながら僕に向かって言った。

「岡君、紗綾の事……紗綾の事を宜しくおね……」

 寮母さんは涙で言葉を続ける事ができなかった。けれど、寮母さんの気持ちは十二分に伝わってきた。

「はい。寮母さん、いえ、ばーば。必ず幸せにします」

 僕の言葉を聞いたばーばは再び涙を溢れさせた。そんなばーばの声無き号泣が参列者の涙を誘っていった。




 式も終わり紗綾はブーケを持ちながら「儀式」の準備を整えた。もちろんそのブーケを目当てに独身の女性参列者が紗綾の周りに集まってくる。そして目の色を変えた独身女性たちに背を向けた。

「じゃあ、投げますよー! それー!」

 ブーケは大きな弧を描いて女性たちが待ち受ける方へと飛んでいく。その中に少し背の高い女性がいる。その女性はぴょんと飛び上がり右手でブーケを掴んだ。

「キャー! 取れたー! 諒太! ブーケ取れたよー」

 ブーケを掴んだその女性は諒太のいる方へと駆け寄ると、抱きついて喜んでいる。

「良かったな! 京香!」

 ――武藤京香。

 諒太の彼女である。

 諒太は人目もはばからず彼女を抱きしめキスをした。