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 僕は夢の中へ入ったようだ。普段の夢のように辺りの景色はぼやけている。

 いつものように目の前にはぼやけた紗綾の顔もある。

 ふと紗綾の後ろを見ると少し離れた場所に妹が立っていた。

「結菜、こっちこっち」

 手招きをすると妹はゆっくりこちらへ近づいてきた。

「ヒロ君、その女性誰?」

 むくれっ面をしながら紗綾が僕へと詰め寄る。

「あ、こいつ、僕の双子の妹」

「妹さん? よかった。またヒロ君が浮気してるのかと思っちゃった。妹さん、私、紗綾です。宜しくね」

 またって何だよ。人聞きの悪い。

「よ、宜しく。っていうか、お兄ちゃんの彼女ってあなた?」

「はい。彼女の紗綾です」

 わっ。そんなにはっきり言わなくても。まあ、そのうちバレる事なのかもしれない。信じられないという顔で僕の目を覗き込む妹に、僕は「うん」と頷いた。

「よかったー。私ね、お兄ちゃんにはこのまま彼女ができないんじゃないかって心配してたのよ。でもこんなに可愛らしい彼女ができたなんて、私、嬉しい」

「可愛らしいだなんて恥ずかしい。妹さんだって超綺麗じゃないですかー。細くてスタイルも抜群だし羨ましいなあ」

「いやだあ、そんなに誉めても何もでませんよー」

 なんでお前ら、意気投合してんだよ。女同士が同盟結んでしまい僕の事をいじり始めたら厄介だから勘弁して欲しいものだ。

「紗綾、ちょっと用事があるからブラックホールに入るね。結菜、行くぞ」

「行くってどこに」

「面倒くさいから起きたら説明する。紗綾、じゃあまた明日」

「うん」

 僕は妹の手を取りブラックホールへと飛び込んだ。

「ギャー! 目が回るー! お兄ちゃん助けてー」

 京香の時はしっかり手を繋いでいたけれど、ちょっと面白そうなので僕は結菜の手を離してやった。まあ、離したからといってどうこうなるものでもない。

「ギャー! 怖ーい! なんで手を離すのよ! お兄ちゃん! 助けてよー!」

 いつものお返しである。なんだか超楽しい。

「よっこいしょっと。ほら、もう大丈夫だよ」

 妹はよろよろしながら僕の腕を掴んだ。

「もう! びっくりした。今のはなんだったの?」

「さっきのは『果てしなく現実世界に近い夢の中』への通り道だよ。ほら、夢なのに景色がぼやけてないだろ?」

 妹は辺りをキョロキョロと見渡した。京香と同じ反応である。

「わっ! ほんとだ。はっきり見える。あれ? 紗綾さんは?」

「それも面倒くさいから起きたら説明するよ」

 僕たちは実家の玄関の前にいるようだ。東の空には既に太陽が出ている。すると玄関の扉がガチャリと音を立てた。

 なんと父が出張用のバックを持って出てきてしまったのだ。玄関の中からは母の声が聞こえてきた。

「いってらっしゃーい。福岡の中洲で悪さしてこないでねー」

「馬鹿な事言ってんじゃないよ。パパはママ一筋だよ。じゃあ行ってくるねん」

 ――行ってくるねん? ねん?

 僕たち兄妹がいない場所ではそんな言葉を使っていたのだろうか。この会話を聞かれてしまった両親は恥ずかしくて顔を赤らめるだろう。けれど、恥ずかしいのはこっちも同じである。

 僕たちは逃げる事も忘れ、父と母の会話を呆気にとられ聞いていたのだ。

「もう! パパ。チューは?」

 母の甘えた声に父が再び玄関に入る。おそらく今頃「チュー」とやらをしているのだろう。

「ゆ、結菜! 隠れるぞ!」

 けれど、時は既に遅かった。母と「チュー」を終えた父は僕たちと目を合わせてしまった。

「わっ! お前ら、こんなに朝早くからこんな所で何やってんだ」

 いい歳して父さん達こそ何やってんだよ。

「あ、健康の為に散歩でもしようかと思って……」

 とっさに思い付いた言い訳にしてはよくできていると思う。三年前の父は都合悪そうに、「そ、そうか。じゃ、じゃあ出張行ってくる」そう言った後、僕の頭を見て続けた。

「広海、なんだか一気に背が伸びたんじゃないか?」

 父の言う事も頷ける。高校卒業時の僕の身長は182cmだった。大学へ入り二年間で3cmも伸びたのだ。流石にここ一年は伸びていないけれど。高校三年生の僕しか知らない父にとっては今の僕が大きく見えたのだろう。

「そ、そうかなあ。変わってないと思うけど……。あっ、父さん、電車遅れるよ。行ってらっしゃい」

「結菜、お前もなんだか体が引き締まったんじゃないか? まあ、早起きして散歩してれば体も引き締まるってもんだ。これからも続けなさい。あっ、母さんのお手伝い頼んだぞ。じゃあ」

 父は駅へ向かって歩いていった。日本体育大学へ入り集団行動をやっていれば嫌でも体は引き締まるだろう。父は勝手に勘違いしてくれた。

「お兄ちゃん、三年前のパパってまだ髪の毛あったんだね」

「う、うん。結構ふさふさだったんだな」

 父の姿が見えなくなると僕たちも駅へと向かっていった。三年前、京香が入院していた病院へ行く為である。

「どうでもいいけど、早く行くぞ」

 行った先は東京大学医科学研究所付属病院である。日本でも白血病というカテゴリでは名医中の名医、東城医師のいる病院なのだ。

 どうにか夢が覚める前に病院までたどり着いた。三年前、お見舞いにきた時の記憶を頼りに京香の病室を探す。

 ――武藤京香。

 僕は表札を見つけ、その部屋に入ろうとした看護師さんに声を掛けた。

「あの、この部屋に入院してる武藤さんの親友なんですけど、彼女のドナーさんが見つかりましたよね?」

「なんでそれを知っていらっしゃるの? まだ武藤さんにも武藤さんのご両親にも伝えてない事なのに」

 母と同い年くらいだろうか。四十代前半と思われるその看護師さんは僕たちの事をまじまじと見回した。

「武藤さんに骨髄液を提供する方は、麻酔に耐えられず命を落としてしまうんです。だからといってそのドナーさんが提供を断ってしまえば武藤さんが死んでしまいます。だから、予定しているドナーさん以外に適合者がいればその方ににお願いしたいんです」

 僕は無我夢中で説明した。なんとしても二人共助けたい。そんな思いで目の前の看護師さんに説明したのだ。看護師さんは「そ、そうですか。ドクターに相談してきますからここで待ってて下さい」そう言って消えて行った。

 僕たちは期待に胸を膨らませ看護師さんを待った。

「お兄ちゃん、よかったね。なんとかなるかもよ。紗綾さん、生きられるよ」

 待つ事三十分……。

 看護師さんが連れてきたのはドクターではなく、警備員だった。僕たちは腕を掴まれ院外へ放り出されてしまった。

「今度来たら警察呼ぶからね!」

 看護師さんはぷりぷり怒りながら院内へと入っていった。

「クソババア!」

 妹の怒号が外来患者や見舞いに来た人達の視線を集めた。


 ※ ※ ※

 目覚めた僕は飛び起きた。ふと隣をみると、怒りに溢れた表情をしながらイビキをかいている妹がいた。