九月半ば……。

 僕たち三人は新幹線に乗り込んだ。

 諒太と僕は教育実習に参加する為である。京香もその予定であった。けれど入院しなければならないらしく、今僕の目の前でへこんでいる。

 平日という事もあり車内は空いていた。僕たちは二人掛けのシートを回転させ向かい合わせに座っている。

 ほとんどの大学は四年になってから教育実習をする。けれど、僕たちの大学は三年で行う事になっている。僕は母校の高校に、諒太は母校の中学に、それぞれ三週間通う事になる。

「まあ、来年も教育実習いけるんだからそんなに落ち込むなよ」

「そうね。でもやっぱり行きたかったな。ふう」

 新幹線のシートに座り約十分。京香は何度目かのため息をついた。

「そう言えばヒロ、お前まさか紗綾ちゃんにドナーやめろなんて言ってねえだろうな」

 隣に座る諒太からメラメラと燃え上がったような、それでいて殺気までもが含まれた視線が飛んできている。

「ば、馬鹿いうなよ。そんな事言える訳ねえだろうが」

 もちろん紗綾を助けるつもりだった。けれどそんな事をしてしまえは京香が助からない。紗綾を助けるという選択肢は残っていないのだ。

 二人を同時に助ける方法はないのだろうか。

「ならいいけどよ。頼むから馬鹿な真似はよしてくれよな。しかしなあ、二人とも助ける方法はないもんかな」

 諒太も紗綾の事を考えてくれているようだ。

「ヒロ、ごめんね。悩ませちゃって」

 力ない京香の声が新幹線の走行音と共に流れてきた。

「悩んだりしてないよ。僕だって京香を失うなんて嫌だしね。京香は今生きてるんだよ。俺たちの大切な親友なんだから、京香の命は最優先に考えてるよ」

「ふふっ。ありがとう。でも紗綾ちゃんも助ける方法も三人で探しましょうよ。ほら、三人寄ればなんちゃらって言うじゃない」

「あっ、それ知ってる『三人寄ればかしましい』だっけ?」

 諒太はわざとボケているのだろうか。それともただの馬鹿なのか。おそらく後者の方なんだろう。もしも前者だとしても全く面白くない。

「それを言うなら『女三人寄ればかしましい』だろ。京香が言ったのは『三人寄れば文殊の知恵』の方だよ。お前が言ったのは、女性はおしゃべりだから、三人も集まれば騒がしくて仕方ないっていう意味のことわざなんだよ」

「三人寄れば文殊の知恵? そんなことわざもあるのか? どういう意味なんだ?」

 諒太は無知のダメを押してしまった。

「はあ? あんた、三人寄れば文殊の知恵も知らないの? 頭悪すぎでしょ。例え凡人であってもね、三人集まって考えれば、すばらしい知恵が出るものだという例えのことわざよ。しかしヒロは何でも知ってるのね。私も『かしましい』だっけ? そのことわざは知らなかったわ。音楽の才能があって、勉強もトップクラスで、その上イケメンで。なんでそこまで揃ってて運動音痴になっちゃったかなあ。残念」

「うっせー!」

 諒太は自分が馬鹿にされた後、僕も馬鹿にされた事で口を手でふさぎながら「うっしっし」と笑っている。

「ヒロの運動音痴は並み大抵の運動音痴じゃないからな。小学生の時なんかさ、野球やってて空振り三振したのに走っちゃってさ。しかも三塁方向に走ってったんだぜ」

「えー! ヒロ、それはイタ過ぎるでしょ」

 京香は目を丸くして僕を見た。

「ほっといてくれよ。僕は母さんの血を継いで、運動神経抜群の父さんの血は全部妹にいっちゃったんだからしょうがないだろ。それに引き換え京香様は音楽センスは抜群で勉強もスポーツも得意でその上お綺麗で。挙げ句の果てにはいいとこ育ちのお嬢様。ようございましたね」

 僕は冗談まじりで皮肉たっぷりにそう言った。けれど、突然京香の顔が雲っていった。

「でも……。神様は私に『健康』をくれなかった」

 ずしりと重い空気が流れ、僕は諒太と目を合わせた。

「お前、京香に余計な事を言いやがって」そんな言葉が諒太の目から読み取れた。「ごめん」と僕も目で謝罪する。

「京香、ほら、今はこんなに元気になったんだからさ。なんと言っても京香にはこの俺様とヒロがついてるんだから大丈夫! しっかり治してくるんだぞ。幸い京香が入院している間、俺もヒロも東京にいるんだから。見舞いだっていつでも行けるし。何か食べたい物とか欲しい物があったら連絡しろ。病院まで持ってってやっから。な」

 諒太の言葉で京香の頬にぽろりと涙が滑っていった。そして諒太と僕は再び目を合わせた。「泣かせてんじゃねえよ」と僕が目で伝えると、諒太は「ごめん」と目で訴えた。

「ごめんね。なんだか湿っぽくなっちゃったね。じゃあ、遠慮なくおねだりするから宜しくね。そうだなあ、まずは高ーいメロンが食べたいな」

 京香に笑顔が戻ってきた。笑顔の京香は本当に可愛い。諒太と僕はまた目を合わせる。「この笑顔、絶対守ろうな」「おう! 任せとけ!」

 幼なじみで親友だからこそできるのだろう。僕たちは口に出さずとも意志を伝え合う事ができた。

 東京駅に着いた僕たちは乗り換えて新宿へ向かった。そして小田急線に乗り換え各々自宅のある駅へ向かう。

 諒太と僕は小学校が一緒だった事もあり、家も近いのだ。けれど高校から一緒になった京香は二つ前の駅で電車を降りる。

「じゃあ、私、降りるね。高級メロン宜しくー」

「おう! 一番美味しいメロン持ってってやっから。病室決まったら連絡しろよ」

 太っ腹を装い諒太が厚い胸を張ってそう答えた。

「うん。じゃあね」

 閉まったドアの向こうで笑顔の京香が手を振っている。僕たちも彼女の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 京香が視線から消えた途端、諒太はリュックから財布を出した。

「なあ、ヒロ。メロンていくらするんだ? お前、いくら出せる?」

「ピンキリだけど高いのは『うん万』するよな」

 そして僕も長財布を取り出しパカッと開いて諒太に見せた。

「あちゃ」「あちゃ」

 もっとバイトを頑張っておけばよかった。僕たちは雁首《がんくび》を並べて項垂れた。

「まあ、取り敢えず紗綾ちゃんも助かる方法を考えようぜ。俺も協力すっから、紗綾ちゃんにドナー拒否だけはさせないように頼む」

 諒太は僕に頭を下げた。京香の事が本当に好きなんだろう。

「うん。それはしないから安心してくれ。それにしても二人共助ける方法かあ」

 僕の言葉を聞いた諒太は「うーん」と言いながら腕を組んだ。

「あ、京香と一致するドナーさんって、紗綾ちゃんだけだったのかな。もしも、もう一人いればだよ、紗綾ちゃんにドナーを断ってもらって、その人に頼めばいいんじゃないかな」

 諒太は真剣に考えてくれているようだ。親友とは本当にありがたいものである。

「あー、そうか。もしも、もう一人いれば問題は解決しそうだな。今日にでも夢を見たら京香が入院してた病院に行ってみるよ。でも、突然夢が終わるからなあ。そんな情報が引き出せるかどうか……」

 僕は不安だった。けれど、今はやるしかないのだ。二人を助ける為ならば、どんな事だってやってやる。

 ほんの僅かな希望を抱きながら、僕たちは実家へ帰っていった。