「何泣いてんだよ! お前らしくねえぞ。俺に任せろ」
「何泣いてんのよ! てか私、遠回しに振られたようね。元気出して! 私がなんとかしてあげるから」

 諒太も京香も僕に協力してくれると言ってくれた。

 それから数日後、暑さも少し陰を潜めた八月の最終日であった。僕たち三人は寮母さんの部屋を訪ねた。

「寮母さん、女性を連れてきてしまい申し訳ありません。この二人は僕の親友です」
「以前にいらした方ね。キッチンの奥から拝見したけど、すぐに女性だとわかったわ。まあ、岡君のお友達だから信用したのよ。見て見ぬ振りっていうのかな」

 寮母さんにはバレていたようだ。

「すみません。バレてましたか」
「西園寺君が好きだって言ってた人、こちらのお嬢さんでしょ?」
「いやん。うふふっ」

 この状況で何喜んでんだか。

「寮母さんには全てお見通しだったんですね。ほんとにごめんなさい」

 僕の言葉に続くように京香は緩んだ顔を引き締め口を開いた。

「寮母さん、私たち、紗綾ちゃんの事を助けたいんです。どうすれば助ける事ができますか? 病気でもない紗綾ちゃんが何故亡くなってしまったのか。教えてもらえませんか? お願いします」

 京香がそう言った瞬間、僕は仏壇に飾ってある写真に目をやった。以前寮母さんの部屋を訪れた時、亡くなったご主人らしき写真とセーラー服姿の写真が飾られていた。その二枚の写真は今でも飾られている。

 セーラー服姿の少女。それは紗綾であった。

「寮母さん、その写真……紗綾……ですよね」
「そうよ。震災で両親を同時に失い私たち夫婦が面倒をみる事になってね。優しい子だったわ。この寮に来た時はまだランドセルを背負ってたの。震災は三月だったからランドセル姿の紗綾は一ヶ月後にはセーラー服に変わってたけどね。多くの人命を奪ってしまった震災だったけど、私たち夫婦に孫と過ごす機会を与えてくれたの。紗綾との生活が余命宣告をされていた主人に生きる希望を与えてくれたわ。震災で亡くなった人達にとっては不謹慎な話ね」
「そうだったんですか。そんな事情があったなんて……」

 寮母さんは立ち上がり仏壇の方へゆっくり歩き出す。そして紗綾の遺影を手に取り懐かしそうに眺めている。

「この子にはね、歳の離れたお兄ちゃんがいたの。私の初孫だったのよ。でもね、白血病だったの。いくら待ってもドナーが見つからなくてね。苦しみながら死んでいったわ」

 寮母さんは涙を押さえる事ができず、僕たちの前で大粒の涙をこぼした。

 寮母さんはエプロンのポケットから取り出したハンカチで瞼を押さえながら続けた。

「兄弟姉妹が一番適合する可能性が高いらしいけれど紗綾とお兄ちゃんは一致しなかったの。それで私の息子、あ、紗綾の父親の事ね。息子が『こんな辛い思いをするのは俺たちだけで充分だ』そう言って家族みんなで骨髄バンクに登録したのよ」
「それが紗綾の死と関係あるって事なんですか?」

 僕の問いに対し寮母さんは再びハンカチで瞳を拭いながらこくりと頷いた。

「三年前、紗綾の白血球のHLAの型と一致した患者さんがいたらしくてね。紗綾はその患者さんを助ける為に骨髄を採取したの。骨髄の採取にも麻酔が必要らしいんだけど、その麻酔に耐えられなかった紗綾は命を落としたの。過去にも海外で三例、国内でも一例、同様の死亡例が報告されているそうなの。でもね、日本骨髄バンクが設立されてからは初めての症例だったみたい。お医者様も『ドナーさんが被害を受ける事なんて医療の進んだこの時代にはありませんから安心して下さい』っておっしゃってたから私たちも安心していたんです。まさか人様を助ける為に命を落とすなんて、紗綾が不敏で……」

 諒太は寮母さん以上においおい泣いている。そして京香が神妙な面持ちで話し始めた。

「寮母さん、実は私も白血病だったんです」

 京香の突然のカミングアウトに僕達は大きく目を見開いた。

「え?」「まじ?」

 諒太も僕も初耳である。僕たちは驚き一斉に京香の顔を覗きこんだ。

 そう言えば京香は高校の時、入退院を繰り返していた。大学に入ってからも定期的に病院に通っている。そういう事だったのか。

 痔や便秘の悪化した病気ではなかったようだ。まさか白血病だったなんて。

「う、うん。みんなには内緒にしてたんだけど、私は骨髄移植で助けられたの。だから……紗綾ちゃんの事……なんとしても助けたい。毎日この寮に泊まって二〇一六年の紗綾ちゃんに会う。そしてドナーを断るように説得する。まあ、その患者さんには悪いけど、私たち、絶対紗綾ちゃんの事を助けます。寮母さん、私と諒太《こいつ》が紗綾ちゃんを助けるまで、この寮に寝泊まりする事を許可して下さい。お願いします」

 京香は深々と土下座した。諒太も僕も京香に引きずられるように絨毯におでこを擦りつけた。

「頭を上げて下さい。みなさん、ありがとう。こちらこそ宜しくお願い致します」

 そう言って寮母さんも正座をし、これでもかと絨毯におでこを擦りつけた。

 全員の意志は固まった。麻酔が原因で紗綾は死んでしまったのだ。ならば、その骨髄採取の為の麻酔を打たせなければ済む話である。そう、骨髄移植を断らせればいいのだ。その代わり、紗綾の骨髄液を提供してもろうハズだった患者さんは次のドナーを探す事になる。最悪の場合、助かるハズだったその患者さんは命を落とす。

 けれどそんな事は重々承知である。僕たちは紗綾を助けたい。助けなければならないのだ。

 僕たちは「紗綾を助ける」そんな一つの目標を達成するために団結していた。座っていた座布団から立ち上がると僕らはふらふらとよろけてしまった。慣れない正座のせいで足がしびれていたのだ。

「わ、みなさん大丈夫? 足を崩してくれればよかったのに」

 そんな寮母さんの気遣いもむなしく、京香はばたりと倒れてしまった。京香の倒れて込んだ先にはいかにも高そうな花瓶がある。このまま倒れてしまえば間違いなくその花瓶で頭を強打してしまう。

「京香!」

 僕は京香に声を掛けるのが精一杯だった。

 そんな京香をいち早く抱え上げたのは諒太である。

「大丈夫か?」

 諒太が素早く京香を抱えた為、頭を打たずに済んだのだ。流石の反射神経である。僕はほっと胸を撫で下ろした。

「う、うん。大丈夫。でも……諒太……おっぱいから……手を離してくれる?」
「わあー! ごめん」

 諒太は抱き上げていた京香から両手を離してしまう。そのまま京香は畳に落ち頭を打ってしまった。

「痛ーい! なんで急に離すのよ!」
「ごめん。京香、大丈夫か?」

 京香の頭を優しく撫でながら諒太は何度も何度も謝っていた。