その後、船団は無事に到着する。港が見えてきた時は全員が喜んだ。
輸送船に積まれた大量の物資を見て、林も伯澤も喜んでいる。三土地は伯澤の笑顔を見て、戦況の悪化を改めて感じた。

「よくやった」

橿原が後ろからそう言ってきた。

「犠牲者が出てしまった……俺がもっと」「十分だ。敵機も撃墜、潜水艦も撃沈、船団を守りきり、大量の物資を運んで来れたんだからな」

磐田が言おうとしたことを三土地が遮る。
三土地も十分とは思っていなかった。犠牲になった者のことを忘れてはいけない。
しかし、後悔し続けると人を守る前に磐田の心が壊れる。


ある水兵たちが二人を発見し、近づいてきたようだ。
二人が水兵たちに囲まれている間、橿原はもう次の作戦のことを考えていた。
遠江と吉野はその後の護衛任務でも活躍し、一部の者へ護衛任務への考え方を変えるきっかけを与えた。


その後、一番艦の近江は南方の作戦で沈んだ。艦載機の攻撃を回避し続け、迎撃する。しかし、装甲を貫通され火災も発生した。航行不能となり、一隻の駆逐艦が雷撃処分を行おうとしたところで、敵艦を発見し、近江はそのままにされてしまった。
総員退艦後もしばらく持ちこたえ、敵の潜水艦が発射した魚雷で沈んだ。

遠江は呉で最後を迎える。自慢の対空火器で迎撃したが、艦橋も崩れ主砲も潰れた状態で大破着底した。

吉野は終戦まで船団護衛で活躍し、潜水艦三隻を撃沈した。終戦時は空襲によって中破していた。その後アメリカに賠償艦として引き渡され、解体された。