待って、行かないで。

手を掴みたいのに体が動かない。

薄れていく意識の中で、不安が気のせいであることを願いながらもがき続けるしかなかった。

行かないで。

行かないで。

私を置いて行かないで。

「じゃあな。」

そう呟いた声が、今までで一番優しい声だった事に栢木は気が付いていたのだ。



目が覚めた時はもう朝だった。

鳥たちの囀りや明るい日差しに導かれて栢木はゆっくりと目を覚ます。

「あれ…?」

ここは屋敷にある自分の部屋、いつの間に眠ってしまったのだろう。

服も化粧も昨日のまま、おかげで昨日の出来事が夢じゃなかったと確認できて記憶を手繰り寄せる。

「しまった…。」

夜会の後の記憶がない。完全に酔い潰れたのだとため息を吐きながら栢木は頭を抱えた。

やってしまった。

口当たりのいい高価なお酒と北都との非日常な空間に飲まれてしまったのだ。

「ああああああーーーーー…。」

馬車に乗った記憶がない、だから自分がどうやって部屋に入ったかも覚えていない。

というよりも全て昨日のままの姿という事は酔いつぶれたから運んでもらったという考えの方が早い気がして胃が痛くなった。

前回は酒を飲んでいた訳ではないが、これで運んでもらったのは2回目ということになる。