恋になる、その前に

「それは……。でも、高遠さんだってすごく忙しいでしょ。今年の高遠さんの営業成績、前年比130パーセントって聞いたけど。確かにやり手そうだもんね、高遠さん」

初めて飲んだ日はバリバリの警戒心をほどくのが楽しくて、いつの間にか主任相手に営業トークを披露していたことを思い出す。

半強制的な誘いに抵抗していた彼女の口元が弧を描いて『高遠さんって、変なひとだったのね』と呟いたとき、俺も笑っていた。

新規の契約でも取り付けたいみたいに何でこんなに躍起になっているのか、と。

それにしたって、俺の情報なんてどこから仕入れてきたんだか。

忙しくてもこうやって一緒に飲んでいるというのに。

「安心してください、ちゃんとご褒美は貰いますから。俺、ただ働きはしない主義なんで」
「ご褒美って」
「俺と寝てみませんか」
「は?」

意味が分からないって顔をしてこちらを見つめるから、同じ言葉をゆっくりと繰り返す。

「だから俺と寝てみませ」

言葉の途中、いきなり主任の両手が顔を叩く勢いで伸びて来て、がっつりと俺の口元を塞いだ。

それは彼女の手にあったバッグごとで、すると当然、俺の顔を直撃した。

「いてっ」
「ば、馬鹿っ‼ こんなところで何言ってるの?」

こんなに慌てる彼女は珍しくて、面白さも倍増。

大通りから外れているとはいえ、金曜日の夜だ。

ひと通りはそこそこあるので立ち止まってジタバタしている俺達は、ひとの視線に晒される。

仕事の交渉は上手でも男と女の駆け引きには慣れていなそうな主任の両手を、痛くない程度にやんわりと握って下におろした。

「場所が違えば良いんなら、場所を変えますけど」