巫部凛と漆黒のパラドックス

 どのくら経っただろうか。耳元で何か軽快な今流行りのヒップホップが流れている。何だ? 携帯が鳴っているのか? 段々と覚醒してきた頭で考えると確かに俺の携帯が音を奏でているようだ。うすらぼんやりしてきた頭で通話ボタンを押す。
「もしもし……」
「ちょっとあんた、今何やってんのよ」
「はい?」
「だ、か、ら、何やってんのって言ってるの!」
 いきなりの怒号だが誰なんだ?
「あのう、どちら様でしょうか」
「はあ? 本当に寝ぼけてるみたいね。私よ私!」
 新手の詐欺かと思いつくも、この高圧的な物言いは思い当たる節が多すぎる。
「天笠か?」
「そうよ、私よ。ったく、直ぐに気づきなさいよね」
「悪い悪い。こんどから気をつけるよ……って、こんな夜中に何の用だ?」
「そんな事はどうでもいいでしょ。それより緊急なの。今すぐに学校に来て!」
 何となく切羽詰まったような声だな。
「学校に? 何で?」
「いいから来なさい! 今すぐ! でないと大変な事になるわよ」
「大変なことってなんだよ」
「そんな悠長な事言ってられなくなるわよ。いい、耳をかっぽじって聞きなさい。バグの世界が生まれてしまったの」
「バグだって?」
「そうよ、それで、そのバグの世界は今までに観測したことのない位のスピードで拡大しているの。このままじゃヤバイわよ。研究所の計測結果じゃこのバグは特別で、二、三日中に世界を覆いそうなの!」
「マジかよ……」
「そうよ。天笠研究所が計測してるんだもん、間違いはないわよ。ああもう! 今までこんなスピードのバグなんてなかったのに! まったく、研究所も名折れよね。こんな事も予測できないなんて」
 おいおい、バグが急速に広まって三日後には世界を覆うだと! 確かバグが世界を覆うと、世界の自浄作用により、生命はリセットされるんじゃ……。
「事情はわかった? あんたはさっさと学校に行きなさい!」
「何でまた学校なんだよ」
「バグの発生原があの学校なのよ。だから学校に行けば何かあるかもしれない。生憎私には研究所から見張られていて今すぐには行けないわ。だからあんただけでも先に行って!」
 最後は悲痛な感じの天笠の声。これは、そうとう切羽詰っているって感じじゃないか。
「ちょっとまってくれ。確かお前ら研究所は人類がリセットされるのを願ってるんじゃなかったのか?」
「そうよ。研究所の目的はね。でも……私は、あんたと狩人に負けてから少し考えがかわったわ。それに……」
「それに?」
「私は今の学校生活が楽しいって思ったのよ。あの生徒会がね。だから、私は世界のリセットに反対する。なんとしてでも、この世界を守りたいのよ」
 巫部に占拠されたような、あんな生徒会が楽しいとはね。
「……」
 だが、俺もその回答には賛成だ。
「おい、じゃあ、俺はとりあえず学校へ向かえばいいのか?」
「そうよ。お願い……この世界を救って」
 その言葉を残し携帯はツーツーと電子音を発するのみとなってしまった。しかし、天笠が今の生活を楽しいと思っていたとはね。最初に出会った時は敵同士だったが、今はこうして同じ目標に向かって歩き出している。人生何があるかわからないな。まったく。
 そんな愚痴とともに、俺は床に脱ぎ捨ててあった制服に身を包み、チャリを引っ張り出すと、星が照らす道に向かいペダルに乗せた足に力を込めた。