「ここよ、ここ」
 声の主は、巫部の背後から聞こえている。巫部の亡骸越しに視線を向けると、そこには、長刀の柄をしっかり握ったゆきねがいた。
「……」
 三度固まる俺。ちょっと待て、状況を整理すると、目の前には、腹を一突きにされた巫部。その後ろには、長刀を握っているゆきね……って。こいつが巫部を殺ったのか?
「ちょっ。ちょっと待てよ。なんで、お前が巫部を……」
 やっとの思いで喉から絞り出した言葉に、
「ちゃんと約束を守ったのね。一応、お礼を言っておくわ」
 至って普通の声で返答したゆきねは、長刀を巫部から引き抜いた。既に肉の塊と化していた「巫部だったもの」は、なんの意思も見せずに廊下に転がった。
「なっ、なんなんだよ。何が起こっているんだ」
 未だに俺の心は動揺している。そりゃそうだろう。目の前で人が殺されて、その犯人が知り合いときたら、どんな屈強な奴でもパニックの一つでも起こすだろう。
「説明は後よ。始まるわ」
 ゆきねはこんな事態なのにいつもの口調で、俺に語りかける。その瞬間、世界が大きく変形したような気がした。背景が歪み、水面越しに見ているかのようだ。その後、その歪んだ景色は段々と黒に変化し、俺とゆきねの周辺が黒一色に染まるのにさして時間はかからなかった。例えるならそう、暗黒の世界のようだった。
 
 俺たちが完全に黒の世界に飲み込まれると、俺が次に感じたのは、どこかに落ちているという落下感だった。遊園地とかにあるフリーホールを思わせる、その胃が少しだけ持ち上げられるような感覚だ。しかも周囲に景色は見当たらず、闇の中をどこかに向かい落下しているだけだった。何故だ。何が起こっている。俺たちは階段の踊り場にいたはずで、「落ちる」という要素に心当たりはない。
 暗闇の中をただひたすら落ちていく。視界が奪われては落ちているのか、上っているのか、飛んでいるのか判断がつかない。三半規管が完全に麻痺しちまったように、上下左右が目まぐるしくいれかわり、同時に俺の意識も薄らいでいった。