春風駘蕩




自分で用意したチケットで巽の演奏を聴くと決めていたとはいえ、今日はどうしてもの想いで内川さんのお世話になった。

内川さんは「喜んでご用意いたしますよ」と即座に引き受けてくれたけれど、それも今回限りにすると決めている。

「由梨香さんが来られているので、巽もきっと、張り切って演奏してますよ」

「……だといいんですけど。結局、仕事で遅くなってしまって……」

「いえいえ、大丈夫です。あ、演奏が終わったそうです。十分ほど休憩が入りますのでどうぞ。楽しんでくださいね」

内川さんは、会場内にいるスタッフからの連絡をスマホで確認し、私に笑ってくれた。

そして、そっと扉を開けてくれた。

私は内川さんに頷いて、会場に体を滑り込ませた。

ほの暗い客席の最後部席が私に用意された席だ。

ちょうど目の前にあった席には、巽が用意してくれたという目印がわりのクマの小さな人形があった。

私はそのかわいらしさにホッとしながら手にとり、腰をおろした。

演奏の合間のこの十分の休憩をはさみ、残り二曲とアンコール。

開演に間に合わなかったのは残念だけど、数曲でも聴くことができる。

私はホッと息をつき、柔らかな座席に体を預けた。