綾の弟、水谷伊織は、とりあえずと先に家賃を振り込んでくれて、その後自分の住むアパートを解約し、翌月の頭にボストンバッグ一つで引っ越してきた。

「え。荷物それだけ?」

 私は驚いて彼が床におろした黒い鞄を指差す。

「うん、まあね。スタジオに寝泊りすることも多いし、おおかたの荷物はそっちに置いてあって。部屋にはこれくらい。もうついでにって捨てたものも多かったし」

 彼は相変わらず低い声で、ニコニコしながらそう言った。

 ・・・そうか、写真スタジオ。そこで寝ることも多いと確かに言っていたなあ!私は一人で頷く。

 今日の彼は髪の毛をおろしていて、それは肩に触れるくらいの長さだった。並ぶとやはり背が高い。この古くて小さい家の中にいては、細身だとはいっても結構な圧迫感ではないだろうか。天井も低いので、部屋に入る時には少し首を傾げないと通れないだろう。

「君ならここ、低くてやりにくくない?」

 私がそう聞くと、彼はひらひらと手を振る。

「大丈夫ですよ。ドアが低いけど、前の部屋も古くて鴨居によく頭ぶつけてたし。部屋の中なら問題ない」

「・・・そうですか。まあ気をつけてね」

 私は頷いて、彼を綾の部屋に連れて行く。二階にある和室のうちの一つ、北側の6畳間だ。彼がくることが決定してから私は綾の部屋へと入り、ちょっと驚いたのだ。

 彼女はほとんど物を持って行ってなかった。