「はは、ごめんごめん。そんなに怒らないでよ」

 耳元で、後ろから私を包みこむ彼が笑っている。時々、耳に触れる彼の吐息が何だかこそばゆい。

「バカ徹」

 ぼそり、と私がこぼす言葉にもう一度笑った彼は、私を包む腕に少しだけ力を込めた。

「杏」

 低すぎず、高すぎない。柔らかな、彼のトーンで放たれる私の名前。私は、彼に名前を呼ばれるのが好きだ。好きで、好きで、名前を呼ばれる度に幸せになる。

「なに?」

 幸せな気持ちになり、つい、怒ったふりを続けることを忘れた私の声は、いつもと同じトーンに戻っていた。


「やっぱり書けたでしょ。ハッピーエンド」

「……うん。書けた」

 私は、小さくこくりと頷く。

 数年前はあんなにも書くことが難しくなっていたハッピーエンド。もう二度と、私の手で幸せな結末は描けないと思っていたけれど、私は今、ハッピーエンドを自分の手で書き上げたのだ。

 彼と過ごした三年間を元に記した、この恋愛小説。幸せな結末で完結させることができた達成感を感じていると、彼が「良かった。俺にとっても、大事な作品になった」と言った。


「ありがとう」

 私は、彼にそう答える。自然と上がっていく口角が抑えきれず、にやにやとしてしまう。