下級悪魔【Ghoul】について。
人間の死体を喰らう悪魔で主な活動時間は夕時から深夜まで。その他の時間は光の当たらない所に身を隠して過ごす。
発生原因は人喰いを繰り返し他人の魂を死体ごと自身の体に吸収することで悪魔となってしまう人間の後天的変異だと考えられている。
彼らは死体を喰らう事で不死の体を維持しているが、代償として永遠の空腹感に襲われている。
出現場所の多くは墓地で他人の墓を荒らして中の死体を喰らうが周囲に墓地や肉の付いた死体が無かった場合、彼らは街で人間を殺しその肉を食べようとする。
基本的に彼らは己の持つ欲に逆らえない。1度食事を始めれば例え己が攻撃を受けても絶対に食べるのを止めようとはしない。
グールの持つ欲を利用する戦法は非常に強力だ。
故に食事の最中は周りに注意が払えず無防備な状態となるので、まずはグールの欲を刺激する〝餌〟を用意した後、おびき寄せられたグールが食事に夢中となっているところに攻撃を入れるのが対グールの基本戦法となる。
有効なのは神聖な祝福を受けた武器での攻撃、または破邪の詠唱。
防御には結界の陣、又は聖水を体に撒いておくのも良いだろう。
正面戦闘は必ず避けること。下級悪魔だが嗅覚が鋭く身体能力は人間のそれを遥かに超えており、甘く見た者は手痛い反撃を受ける事だろう。
更に注意するべき点として彼らは完全に食事を終えると一時的に特殊な能力を得るようだ。
私が過去に相対したグールは人並み外れた量の食事を済ませると両腕が異常に膨み、通常では考えられないような怪力を発揮した。
 食事を終えさせる前に倒しきってしまうという事をあらかじめ頭に入れておくと良いだろう。

「ふーん。なるほどね」
「グールの本が見つかったのか?」

 長い階段を下りつづけて地下に隠された巨大な地下蔵に入った翡翠と神保の2人は蔵島家の先代であり生前数多くの超常事件を解決してきた対人外のエキスパート蔵島翠の知識が記された書物の中から今回の事件の相手であるグールについて記された書物を探していた最中だった。
「ああ、流石はおばあちゃんだ。対処法まできっちり書いてあるよ」
 広い地下蔵には本棚だけが所狭しと並んでおり、翠手書きの書物もぎっちりとその中に詰められている。
そんな中から特定の本を見つけ出すというのはとても根気の要る作業で2人のグール本捜索作業は3時間にも及んでいた。
当たりを引いた翡翠は書物を流し読みしするとその本を神保に投げて渡す。

「ありがとう」
「しっかり読んどけよ神保。メリーさんの時とは訳が違う」
「というと?」

翡翠の発言に神保は首を傾げた。
相手は下級の悪魔、それも対処法まで判明したというのに何を危惧しているのか神保は解らずに聞き返す。

「前回と違って相手は人型の悪魔だ。それも霊体じゃなく実体がある」

 人間と似た姿を持つ相手に引き金を引けるのか?
翡翠の言いたい事を察した神保は自分が甘く見られていることに眉根を寄せた。

「これは僕がやると決めて君に頼んだ事だ。躊躇はしないさ」
「だといいがな」

 対悪魔用の魔方陣が何ページも書かれた書物を開きながら翡翠は無気力に返事する。
幻覚を見せる陣、動きを封じる陣、滅してしまう陣など円の中に細かく並ぶ線や文字の配置を翡翠は宙になぞりながら一つ一つ覚えていく。

「なんでその集中力を国語や数学のテストに活かせなかったかな君は」
「ひらがなや数字に芸術性を感じなかったからだろ」
「僕には芸術の事は解らないからな」

 苦笑いを交じらせつつ神保もグールについてびっしりと書き込まれた書物のページを読み進めて行く。

「本当に詳細に書いてあるんだなこの本」
「おばあちゃんは仕事熱心な人だったからな」

 覚えるのが難しい陣があったのか翡翠はボサボサの黒髪を掻きながら言った。

「以前は聞けなかったがどんな人だったんだ? 君の祖母……蔵島翠は」

 数々の事件を解決してきた人物を知りたいという興味本位で神保が尋ねると、せわしなく動き続けていた翡翠の左手が止まる。

「とても暖かい、優しい婆ちゃんだったよ……人にも、人じゃない者にも」

 ぼそりと放たれた言葉に神保は思わずページから視線を外し、驚いた表情で翡翠の方を見た。

「人じゃない者にもって……でも君の祖母は幽霊や妖怪相手に戦ってきたのだろ?」
「人間が良い奴ばかりじゃないように、超常的存在の者だって悪い奴らばかりじゃないのさ。そしておばあちゃんはそんな者達を守るために戦ってた」
「何だかすごい人なんだな。まるで漫画や小説のヒーローみたいだ」
「そう、まるで正義の味方さ。他人を守るのは得意でも自分の守り方を知らなかった。結果過労で逝っちまった」

 平坦な声で言うと翡翠は止めていた手を再び動かし始め、陣の暗記に自分の意識を集中させた。

「本当にすごい人だな、君の祖母は」

 神保もそれだけ言うと視線を自分の持っている書物のページへとおとした。
2人共無言のまま数分が過ぎた頃。

「よしっ」
「読み終わったぞ!」

 両者が同時に勢いよく本を閉じたせいで地下蔵の壁に小気味良いぱたんという音が反響する。

「で、作戦は?」

 グールについてある程度の知識を得た神保が書物を棚に戻しながら尋ねると翡翠は持っていた書物を見せ付けるように左右にひらつかせた。

「お前が言った通りグールは超人的な肉体を持っている。正攻法で戦って勝てないなら罠を仕掛ければいい」
「罠か。具体的に僕はどうしたらいい」
「メリーさんの時と同じさ。俺が動きを封じてお前が銀銃でとどめをぶっ放す」

 そういうと翡翠は左手の人差し指を神保に向け「ばーん」と射撃するしぐさをしてみせた。

「随分とシンプルな作戦なんだな」
「お前の持ってる銀銃は上級悪魔にも通じるほどの破邪の力がある。まして下級の悪魔くらいならまず間違いなく一撃で仕留められる武器がこっちにはあるんだ。複雑な策は考えなくていいんだよ」
「そ、そうか。それで作戦の決行はいつだ」
「神保、お前今銀銃は持ってるか?」
「ああ。元々今日君に返そうと思っていたからな」

 そう言って神保はスーツの前を開き、左脇のショルダーホルスターに仕舞われた銀銃を見せた。

「持っているなら作戦決行は今夜……今からだ」
「えっ、今から!?」

 唐突に作戦開始を告げられた神保が驚きの声を上げる。

「シンプルな作戦だからすぐに実行できる。警察のお前もスピード解決は望むところだろう?」
「それはそうだが……」
「俺もこんな面倒くさい依頼はさっさと片付けて画を描きたいんだ」

 ぶっきらぼうに言った翡翠が書物を棚に戻し、元来た階段に右足を踏みかけた時、神保の腹から情けない音が室内に響く。
翡翠は嘆息しながら「何か食ってからにしよう」と言い、神保は「じゃあ回らない寿司をご馳走してくれ」と返して殴られた。
その後、階段を昇って蔵から出た2人は屋敷内のキッチンへと移動する。
少し広い空間にダイニングテーブル、流し台やコンロ、オーブンなどが揃えられているごく普通の調理場の風景に神保は少し驚いた表情を見せた。

「何だよ?」
「いや、僕って今まで屋敷内は翡翠の部屋と君の祖母の部屋しか見たこと無かったから」 

 よく解らない返答に翡翠は首を傾げる。

「この屋敷内にもまともな空間があるんだなぁってつい驚いてしまった」
「お前なぁ……」

 神保の歯に衣着せぬ物言いに眉根を寄せてぼさぼさの頭を掻きながら翡翠は壁際に設置された冷蔵庫を片手で開けた。神保もどんな高級食材が出てくるのかと興味津々に覗き込む。
中は以外にも普通のスーパーで買えるような物ばかりで鳥の腿肉、秋刀魚、豆腐、味噌などが並んでおり、野菜室には所狭しと緑黄色野菜が詰め込まれていた。

「時子さん……またこんなに野菜買ってきて」
「家政婦の人か?」
「ああ。週3で家に来て家事をしてくれるんだけど、やたらと食事のバランスにうるさくてな」

 広い蔵島家の屋敷に一人で住んでいる翡翠はもともと掃除や洗濯嫌いだった事もあって家事の一切を雇った家政婦の円谷時子に任せていた。
ある日、26歳独身の時子に外食ばかりの翡翠の食生活を知られてからは契約にはない食事の世話まで見てくれるようになった。

「へぇ~、いい人じゃないか」
「どこが! 週3でこの量の野菜食わされるんだぞ」

 感心する神保に翡翠は苦虫を噛み潰したような顔で首を左右に振る。

「今日はその時子さんは来ないのか?」
「ああ。今日は休みだよ」
「そっか、なら今日は僕が夕食を作ろう」

スーツの上着を脱ぎながら準備を始める神保の提案にことさら嫌そうに顔をしかめる翡翠。

「お前、料理できるのか?」

 不満そうに言いながら翡翠はダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。

「日頃自炊をしている僕の料理の腕をお見せしよう。エプロンはあるか?」
「食器棚の引き出しにいつも時子さんが使っている物がある」

 神保は台所に置いてあるテーブルの椅子の背もたれに上着と銀銃が仕舞われたホルスターを掛け、食器棚の引き出しから紫のエプロンを取り出して慣れた手つきで身に付けた。

「何作る気だ?」
「うーん、卵と麺つゆもあるから親子丼かな」
「待て。卵は解るが麺つゆって親子丼と関係あるか?」
「それは完成してからのお楽しみだよ」

2人で話しをしながら坦々と台所には料理に必要な調理器具や食材が並べられていく。
翡翠の話しにしっかりと返事をしながら神保はてきぱきと動き、フライパンに油をしいて弱火で温めながら鶏腿肉をまな板の上に乗せて包丁でぶつ切りにしていった。

「そういえばお前、銀銃いつも身に付けてたのか?」

 テーブルに頬杖をついた翡翠が木製の椅子の背もたれに掛けられた銀銃のホルスターを見つながら言った。

「まさか! 今日は返そうと思ってたから身に付けて来ただけだよ」

 背中を見せたまま神保は笑って返す。

「それにしても不思議な銃だなそいつは」

 肉に火が通るのを待ちつつ味噌汁の調理に取り掛かった神保は銀銃を一瞥する。

「普段はトリガーが錆び付いているみたいに固くて引けないのにメリーさんに向けた時は驚くほど引き金が軽くなった」
「そりゃ対超常現象に特化した銃だからな。人に向けては撃てないように出来てんのさ」
「弾も込めてないのに勝手に銀色の光が発射されるし、一体どういう仕掛けになっているんだ?」
「翠お婆ちゃんの時代からあった物だぞ。どんな構造かなんて俺が知る訳無いだろ」

話が進んでいくうちに台所には鶏肉と玉葱が炒められた食欲をそそる匂いが広がっていく。

「不思議といえば君の祖母も奇特な人物だよな。周りの人達を守るために戦って、その記録をしっかり後世のために残しているんだから」

 水で薄めた麺つゆとほうれん草をフライパンに投入した後、卵を溶きながら神保が言った。

「あのなぁ。言っとくけどお前もお婆ちゃんと同じくらいの変人だからな」

 ぼさぼさ髪を掻きながら呆れた顔をした翡翠が嘆息する。

「変人!? 僕がか!?」

 溶いた卵を流し込んでフライパンに蓋をした神保が驚いて振り向いた。

「正義バカ。他人の為に動く事が自分の使命だとか思い込んでる自分から厄介事に首突っ込む自殺タイプ」
「う、うるさいな孤独バカ。いつでも一人でいようとする集団の輪を乱すタイプ!」
「俺は一人でも十分生きていけるし、天才画家だから学生時代に群れていた連中よりも稼いでいる」

 神保の反論にびくともしない翡翠が胸を張って答える。