「ぁあぁああああああああああっ!!」

 暗く、冷たい風が吹く森の中に激痛で悶える絶叫が響く。
ただしそれは翡翠のものではなかった。
恐る恐る閉じていた両目を開く翡翠。
見ると右腕を失くした知恵がその激痛のためか叫びながら地面を転げまわっていた。
翡翠は今の一瞬で何が起きたのか理解できずに困惑する。

「探したぞ、翡翠!」

 声のする方を振り向く。
そこには右手に銀銃を構え、体全体が銀色の光に包まれた神保が立っていた。

「神保……」
「酷いじゃないか。僕には無理するなとか言っておいて自分は一人で無茶をするのか?」
 
 少し不機嫌気味な神保が駆け寄ってくる。
 息の荒さから相当急いでここまで来たらしい。

「神保、お前どうしてここが解った?」

 一人でグールに戦いを挑んだ事への謝罪でも、助けられたことへの礼でもなく、最初に翡翠の口から出てきたのはそんな疑問だった。
そんな友人に呆れながらも神保はズボンのポケットからスマートフォンを取り出して言う。

「発信機だよ。僕のスーツの上着に入れっぱなしにしてただろう」

 それは夕食を食べ終えた直後に神保が自慢げに見せ、翡翠が一言で使えないと切り捨てた刑事課の装備だ。
神保のスマホの画面には縮小された地図の上でここの位置がばっちりと赤く点滅していた。
翡翠の疑問はもう一つあった。
神保を寝かせた枕には睡魔の陣を仕掛けていて最低でも2時間は目を覚まさないはずあったのに神保は平然とした顔で今ここに立っている。
訳を尋ねようと思った翡翠だったが、光に包まれている神保の姿を見てすぐに理由を察した。
恐らくは銀銃が陣の効果を無効化したのだ。
あらゆる魔を跳ね除け、使用者を回復させる武器がこの銀銃である。ただの人間が描いたまじないなどすぐに消されてしまうのだろうと翡翠は自己解決する。

「……で、翡翠。僕に何かいう事無いのか?」

 神保が意地の悪い声で訊く。

「神保……その、すまな――」

 謝罪を言い切る前に神保は左手で作った握りこぶしで軽く翡翠を小突いた。

「これでおあいこだな翡翠。僕達は君の祖母のように強くない。ただの人間だ」
「神保……」
「だからどんな時も2人で助け合いながら戦おう。これからは抜け駆けはなしだ」

 神保の提案に翡翠は観念したように頷く。

「……ああ、もう一人で戦ったりお前を守ることをかんがえたりしねぇ。これからは助け合っていこう」

 照れくさそうに翡翠が鼻を摩り、2人が仲直りをした瞬間だった。

「聡介さぁああああああんっ!!」

 2人のいい雰囲気を壊すように右手を失った知恵がふらつきながら起き上がる。

「会いたかったわァアア」

 体はぼろぼろだったが念願の神保聡介を前に知恵は再び口から大量の涎を吐いた。
そんな知恵を前に神保は翡翠を庇うように前に立つ。

「グールを君一人であそこまで追い詰めたのか? すごいな……」
「本当はぶっ倒すところまで俺一人でやりたかったんだけどな」

 翡翠は悔しそうに両手を握り締めた。

「後は僕に任せてくれるか?」

 どこか頼もしさを感じさせる神保の台詞に翡翠は無言で頷く。

「聡介さぁああん。確かあなたの腕を齧った時に私の涎があなたの体内に入ってるはずよねぇ? これも運命かしら」
「そんな汚い運命があってたまるもんか」

 銀銃のハンマーを起こし、トリガーに指を掛ける神保。
銃口は知恵の頭に向けていた。

「どうして皆私を毛嫌いするの? もっと愛させて。もっと私を愛してよ!!」

 自分勝手な理屈を言い続ける知恵を前に、もはや神保に迷いは無かった。

「相手の全てを知りたいなんてそんなものは愛じゃない。ただの君の我侭だ!」

 被害者の無念を晴らすため。
これ以上の被害を出さない為。
自分の友人を守る為に神保は覚悟を決め、狙いを定める。

「愛してるわ聡介さん。私と一つになりましょう!!」

 片腕を失った知恵が最後の突撃を神保に仕掛けた。

「私をぉおお愛してェエエエエエエッ!!」
「やるぞ銀銃!! 僕に力を貸せ!!」

 神保の人差し指がトリガーを引く。
その瞬間に銃口に銀の炎が収束し、固まったエネルギーが光速で射出される。

「聡介さん――」

 銀色の光弾は額を貫き、知恵の体を銀色の炎で燃え上がらせる。

「ごめんよ……僕は君を愛せない」

 それは膝から崩れ落ち、徐々に灰となっていく知恵に神保が最後にかけた言葉だった。
やがて強い風が灰を吹き飛ばし、時葉町の都市伝説である人喰いチエちゃんこと西園寺知恵はこの世から完全に消え去った。
風に乗り、遠くに流れていく知恵の灰を神保と翡翠は遠く見えなくなるまで黙って眺め続けていた。