「痛くない……」
何度包帯の上から摩ってみても腕に痛みを感じない。
神保は巻いていた包帯を解き、グールに噛み千切られた箇所を見てみる。
寝る前まで血が出ていたとは思えない程に神保の腕は完治していた。
「どうして?」
一体自分の睡眠中に何が起こったのか。
寝ている間に体が回復しているなんてまるで魔法のようだった。
「魔法のような……回復……」
神保は以前メリーさんと戦った時にそれを経験していた。
再び視線を銀銃へと向ける。
翡翠も自分もただの人間だ。RPGのように回復の魔法等が使える訳ではない。
奇跡的な回復なんて非現実的なことが可能に出来るのは恐らくこの銃だけだと神保は考えたのだ。
「寝ている間に治してくれたのか?」
物言わぬ銀のリボルバーに尋ねるが当然返事など返ってこない。
それでも神保は少し嬉しかった。
まだ自分はこの銃に見放されてはいない。そんな気がしたからだ。
もう一度、自分の手の中にある銀銃を強く握り両の目を閉じる。
この引き金をまた引く為の覚悟が必要だ。
西園寺知恵はまだまだ先の未来がある筈だった武下紀夫を己の私利私欲のために食い殺した。
来週に紀夫との結婚を予定していた女性は損傷の激しい恋人の亡骸を見ることさえ叶わずに自分の前で泣き崩れた。
こんな悲しみをこれ以上増やしたくない。
「だから僕は……グールを倒す」
神保が決意を口にした時、自分の心の中からグールに対する情けや容赦といった感情の類は全て消え失せた。
「人に裁けない存在から力を持たない人々を守る為に」
両目を開くと突如手に持った銀銃が震えだした。
知らせているのだ。
超常的な存在が近くに来ていることを。
「グールだ……!」
今ここに迫ってきているのがグールであるという確証は無かったが、神保は確信していた。
急いで布団から飛び出し、部屋の襖を勢いよく開く。
「翡翠! グールが来てる!!」
すぐ翡翠に知らせようと屋敷中に響くような大きい声で叫んでみたが翡翠からの返事は返ってこない。
「翡翠! いないのか!?」
神保が廊下を走り回って探してみてもその姿は見つからなかった。
「くそっ、こんな時にどこへ……?」
右手に握ったままの銀銃は段々と振動の強さを増していく。
ポケットからスマホを取り出し、左手で翡翠に電話を掛けてみてもいつも通り留守番サービスに繋がるだけだった。
銀銃の振動が、知恵を目の前にした時と同じ位の強さになり神保は身構える。
体を緊張させ額から汗を流しながら敵襲を待つ。
しかし、いくら待っても知恵の姿は現れない。
それどころか最大接近反応を示していた銀銃の揺れが段々と弱まっていく事に神保は首を傾げた。
「離れて行ってるのか?」
ほっと胸を撫で下ろす神保。
しかしそれも束の間、新たな疑問が神保を再び悩ませた。
どうしてグールはこの位置が解ったのか?
翡翠が魔除けの香を焚き、自分達の匂いはグールには認識できないはずだ。しかし現に今かなりの距離まで接近されていたのはどういう訳なのか。しかもグールは近寄っただけですぐに離れていったのだ。まるでこの屋敷を通り過ぎるかのように。
「グールの標的となっているのは僕だ。屋敷内で匂いが消えている僕をグールは認識できない。なら今、知恵が追っているものは――」
何か嫌な予感が神保の脳裏を過ぎる。
ぶつぶつと呟きながら神保は頭をフル回転させて持っている情報を並べていく。そしてある仮定を口にする。
「僕の匂いの付いた何かを追っている……?」
自分の匂いが付いたもの、それが何かはすぐに解った。
「スーツの上着……!」
答えを口に出した瞬間、神保は屋敷を飛び出していた。上着を持ち出したのが誰だかもすぐに暴いたからだ。
「翡翠……!」
屋敷の門を出て辺りを見渡すが、石階段と遠くに見える時葉町の夜景以外目に入るものは無い。
神保は焦る。翡翠の位置が解らなければ救援にも駆けつけられないからだ。
「どこだ翡翠ぃいいいいいっ!!」
全力で友の名を呼ぶ神保の声は虚しく夜の闇に消えていった。