翡翠の部屋とは違い、こじんまりとした5畳ほどの和室には小さな机や本棚が置かれてあり、人が住んでいるという生活感がある。

「ここは……」
「翠お婆ちゃん……俺の祖母の使っていた部屋だ」

 使っていたという過去形の言い方から、何となく故人なのだろうと察する神保。
 しかし、何故自分がこの部屋に案内されたのかは解らなかった。
おもむろに部屋に入ろうとする神保を翡翠が肩を掴んで止める。

「な、何だ翡翠」
「ちょっと待て。この部屋自体には用が無いんだ」
「どういう事だ」

 投げかけられた問いに翡翠は口では答えなかった。
無言のまま翡翠は5畳の部屋の真ん中に敷き詰められた畳を引っぺがしていく。
 畳の下に現れたのは重厚に閉じられた錆びた鉄の引き戸だった。

「これは……隠し部屋……!?」
「正確には隠し蔵だな」

 重そうに床の引き戸を開くと、長い石階段が地下へと続いていた。

「神保、俺の翡翠という名前の一文字は翠おばあちゃんから取ってるんだ。両親から祖母のような才能溢れる人物になれるようにという願いを込めて」

 階段下の暗い闇を見つめながら、翡翠は話し始める。
それが何の話か解らなかったが、神保は黙って聞くことにした。

「俺の祖母、蔵島翠は数々の超常現象問題を解決してきた最強の霊能力者だった」
「君の祖母が霊能力者……」

 あまりの驚きに神保は目を見開く。

「階段を降りた先にはその祖母が残してきた大量の記録が残っている」
「成程。その知識を借りてメリーさんを倒そうというんだな」

 ようやく話が見えてきた神保が翡翠の話の続きを補足する。

「じゃあ早速――」
「最後の確認だ」

 急いで階段を降りようとする神保を制する翡翠。

「何だ?」

 右手を前に出して神保を止める翡翠はどこか迷っているように見えた。

「この階段を降りればお前の常識が変わる」

 視線を階段から神保の両目に移し、真剣な表情で見つめる。
「世界が一変して見えるようになるだろう。それはお前のこれからの人生を大きく変えてしまう」
 恐らく自分の身を案じてくれているのだということを神保は察し、翡翠とは対照的に軟らかい表情で返す。

「さっきも言ったろ、命をかけるって」

 そう言って神保は階段を一歩降りる。
翡翠は諦めたように苦笑いをして、それ以上は何も言わず携帯のライト機能をオンにして一緒に階段を降りた。

「これは……すごい……」

 長い階段を下り終え、ライトの光りで地下蔵を照らした神保は感嘆の声を上げる。
蔵島翠が自室に隠していた地下蔵は人間を千人は収容できるのでは無いかと思えるほどの巨大な空間に木製の本棚だけが所狭しと並んでいた。

「ぼーっとすんな。探すぞ神保」

 あまりの驚きにその場に立ち尽くす神保に翡翠が後ろから声をかける。

「探すって……この中からか?」
「そうだ。この地下蔵はお祖母ちゃんが個人的に使ってたものだから本屋みたくカテゴリ別に分けられたりしてないんだよ」

 見渡す限りの本。
この中からメリーさんに関して書かれてある一冊を見つけるのはかなり骨が折れそうな作業だ。

「大変だな」
「けど……お前はやるんだろう神保?」

 早速手近な一冊を取ってライトでページを照らしながらメリーさんを探す翡翠。

「無論さ!」

 両の手で自分の頬を叩き、気合を入れた神保も検索を開始した。
そして2人がメリーさんに関する本を探し始めて3時間が経った頃。

「あっ、あったぞ神保」

 今にも死にそうな疲れ果てた声で翡翠が目的の本を見つけた報告をする。

「本当か。でかしたぞ翡翠!!」

 神保も疲れている表情で喜ぶ。
翡翠の祖母が残した本には一体どんな事が書かれているのか?
神保は翡翠の手で開かれているページを横から覗き見た。

簡易召喚型悪魔【Devil】について。
人間が簡易的な占いをする際に呼び出す悪魔。
日本ではこっくりさん、外国ではキューピッド様など国や地域によって多種多様な名前と呼び出し方があるのが特徴だ。
一般的に悪魔を呼び出すには紙とひらがなやローマ字等の文字、そして彼らを憑依させるための媒介が必要となる。
ここで言う媒介とは様々なものがあり、一般的な10円玉や銀貨などのコイン、鉛筆や針などの棒状の物を用いることもできる。
更に召喚者は悪魔をどのように使用するか自分でルールを決めなくてはならない。
 例えば占い中にくしゃみをしてはいけない。占いが終わった後は使ったコインを買い物に使わなくてはならない等、誰でも出来るような簡単なものでいい。
悪魔はルールを守っている間は大人しいが、一度でもルールを破れば容赦なく人間に呪いをかける。
呪いの形は様々だが、実際に悪魔に命を取られた者もいるという。
しかし恐れる事は無い。
呪いを解く方法は実に簡単だからだ。
その方法とは悪魔にルールを破らせて自滅させるというものだ。
彼らがまじない中に掟を破った人間に好き勝手できるように、悪魔がルールを破れば人間は彼らをまじない中好き放題に出来る。
だが解呪の方法とは逆に悪魔の命を絶つ方法は少し厄介だ。
悪魔は肉体が存在しない為、物理的な攻撃はまず効かない。
なので媒介から姿を現した時に神聖な霊力を放つというのが最もポピュラーなやり方である。
過去に私がデビルと対峙した際は命までは取らず、二度と悪さを働かぬように警告を呼びかけるのみの対応を取った。

「凄く詳細に書いてあるな」
「ああ。実際の呼び出し方や戦術も図面にしてくれている」

 あらかたページを読み終えた2人は蔵島翠の残した経験の結晶であるこの本を見て、ようやくメリーさん改め悪魔に対抗しうる知識を得た。

「なぁ翡翠」
「何だ?」
「この地下蔵って君の祖母が個人的に使っていた物なんだよな」

 疲れていてあまり頭が回っていないせいか翡翠は神保が何を聞きたいのかよく解らずにに首を傾げる。

「それなのになぜこの書物はこんなに説明口調で書かれているんだ?」

 神保には翡翠の祖母が残したこの本がどうにも読者に悪魔との戦い方を伝える為にあるとしか思えなかった。
 ようやく神保の疑問を理解出来た翡翠は自分の持っている本を凝視する。

「そんな風に考えた事無かったな。ただのお祖母ちゃんの趣味だと思っていた」

 翡翠は優しい手つきで本を閉じる。

「君の祖母は一体……」
「翠お祖母ちゃんはとても優れた霊能力を持っている人だった。誰にも分け隔てなく優しく接して頼ってくる者の願いを無下にする事は一度も無かった」

 神保は黙って続きを聞く。

「そして周りに利用されるだけ利用されて、最後は過労で逝ってしまった。きっと死ぬ前に自分がいなくなっても困らないようにこの本の数々を残したんだろうな」

 それ以上は何も言わず、翡翠は神保の方をじっと見る。
目と目が合ったが神保は何と声をかけていいものか解らなかった。

「これも運命なのかな」
「どういうことだ?」
「神保、ちょっと俺に着いて来い」

 翡翠はそれだけ言うと地下蔵の奥へと歩を進める。神保は言われるがまま黙ってその背中に着いていく。
地下蔵の隅の本棚の前まで来ると、神保は目の前にある棚にだけ書物以外の物が並べれていることに気付いた。 
8段ある本棚の5段目。そこには他の棚とは違い、書物ではなく小さな木箱だけがひっそりと置かれてあり翡翠が無言のままそれを手に取り神保の前で開けて見せる。

「翠お祖母ちゃんの遺品だ」

 木箱の中には皮のホルスターに収納された拳銃が入っていた。

「これ、本物の銃か?」
「使う者によっては本物にもなるし偽物にもなる。少なくとも実弾は撃てない」

 言っている事の意味は解らなかったが実弾が撃てないという言葉のおかげで銃刀法違反には当てはまらずに済んだ事を神保は安堵する。

「こいつは銀銃。もしもこいつの引き金が引ければ銃口から超常的な存在を撃ち抜く光弾が発射される」

 そんな凄い銃を何故今見せられたのか神保は不思議に思う。

「対超常現象戦でのみ最強の性能を発揮する武器だ。今まで数多の霊能力者や神父や坊主が誰一人としてこの引き金を引けなかった」
「血縁者の君はどうだったんだ?」

 投げかけた質問に翡翠は首を横に振った。
どうやらこの銀銃を使うには霊能力や血縁関係とは違う何かが必要なようだ。

「この銃をお前にやる」
「え……ええっ!?」

 あまりに突然だったので神保は一拍空けて驚きの声を上げる。

「やるったって君……そんなの貰える訳無いだろう!」

 もちろん両手を振って断る神保。
しかし翡翠は差し出した木箱を引っ込めようとはしなかった。

「君の祖母の遺品なんだろう? 貰える訳無いじゃないか」
「別に構わない。遠慮するな」

 本気で拒否する神保の焦る様子を笑いながら翡翠はさらに木箱を前に突き出す。

「大体今までいろんな霊能力者が使えなかった物が僕に使える訳無いだろう!?
「使える使えないじゃない。お前は使わなくてはいけない」
「どういう事だ?」

 今日はよく自分の解らないことに遭遇する日だと神保は内心で肩を落とす。

「知識を得た今、メリーさんから少女を守るだけなら俺でも出来る。だけどそれはただのその場しのぎで悪魔の本体を叩ける訳じゃない」

 木箱を一度床に置き、銃の入ったホルスターを手に取った翡翠が神保の目を見ながら再び手をゆっくりと前に出す。

「神保、お前がもしもこれを撃てたら悪魔の本体を倒せる。つまり問題の根本的解消が出来る訳だ」  

 神保はようやく話を理解する。もしもメリーさんを倒せれば、佳代子達を助けた後でもこれ以上の被害は出ない。

「とりあえず手に取ってみろ。話はそれからだ」

 いつまでも銃を受け取らない神保の腕を取り、無理矢理銀銃を渡すと翡翠は木箱を元の本棚に戻した。

「本当にいいのか?」
「ああ。ここに置いといても埃を被るだけだ」

 軽い冗談のような言葉を口にすると翡翠は元来た石階段を上り始めた。

「対超常現象専用の最強の銃……」

 ホルスターから銃身を出すと。薄暗い地下蔵の中でもはっきり解るくらい拳銃全体が鏡のようにピカピカに磨かれてライトの光を反射していた。

「綺麗なリボルバーだな……シリンダーは一応あるにはあるが弾は入ってないな」
「当たり前だろ。トリガーを引いてみろよ」

 翡翠に言われるまま神保は親指でハンマーを起こし人差し指を引き金にかける。

「あれ? おかしいな……」

 トリガーを引こうとした神保はすぐに疑問の声を上げた。
 容易く起こせたハンマーとは違い、トリガーは指にどれだけ力を入れても何かに固定されたように動かない。
最初は安全装置を外し忘れたかと思ったがよく考えればリボルバータイプの銃にはそもそもセーフティはついていなかった事を思い出す。
外見は新品同然に手入れをされているように見えるがここだけ壊れているのではないかと神保は考え始める。

「別に壊れちゃいないぞ」

 目の前で困惑の表情を浮かべる神保の考えを察した翡翠が意地悪な笑みを浮かべながら言った。