先生はわかりやすい。

大好きなメロンソーダを飲んだとき。
ハンバーグカレーを食べたとき。
ポップコーンとコーラをもって映画館に入るとき。
子供みたいに嬉しそうな顔をする。

逆に、ラブストーリーの映画が見たいと言えばあからさまに嫌な顔をするし、頼んだメニューにピーマンが入っていると「絶対食べられない」と言って私のお皿に入れてくる。

嬉しいとき、楽しいとき、嫌なとき、むかつくとき、悲しいとき。

いろんな先生を見てきて、いろんな先生を知ったよ。

だから、わかるよ。



 
 先生はきっと、もう何も失いたくないんだってこと。



ナオとジンから離れてきたように、いろんなものに執着しないようにしているんだってこと。失ったとき悲しまないように、後悔しないように、どこか一線を引いて、大切な人だって作らないで、先生は生きてるよね。この家に帰ってこないのだって、きっとそうだ。

あんなに仲の良さそうな安藤さんだって、『どこまで翔太のことをわかってやれているかわからない』って言ったんだもの。


 先生は、私を失いたくないと思ってくれているのかもしれない。


それが「恋」とか「好き」とか、そういうものじゃなくても。私の存在は、先生の中にちゃんとあるのかもしれない。


震える先生の手はきっと、私を失う恐怖から。
「キスしていい?」なんて聞くのは、どうにか私を繋ぎとめておきたいから。


自意識過剰じゃない。先生を見てきた私だから、わかるよ。
だってもう、先生は私の「憧れ」じゃなくて、「好きな人」だから。