メジャースプーンをあげよう


「出来ることをやらないと――そんなことを言った時です」
「言いましたっけ」
「言いました。それと、前職の話題を出した時も」
「……そうだったかな」
「はじめさんはどうして今のカフェで働いているんです?」

 私の肩に寄り掛かったままの睦月さんの表情は見えない。
 でも、声が少し低くなった。
 もしかしたら睦月さんも、ずっと私に聞いてみたかったのかもしれない。
 私が睦月さんの前職時代を知りたかったのと同じで。

「……いいかおりがするからです」
「薫り? 味ではなく?」
「もちろんコーヒーの味も好きですよ。でも…飲食すらままならなかった時、好きな香りに包まれるだけで幸せになれたんですよね」
「ああ、わかります」
「いい年してアルバイトなんてって親にも散々言われたけど、昇級制度があるからいずれ社員になってみせますよ」

 言った瞬間肩の重りが消えて、目の前に睦月さんの顔があった。

「ぎゃ!?」
「ぎゃって。失礼ですね恋人の顔を見て」
「いきなりだからですよ」
「……目を見たかったんですよ」

 右頬を撫でる手の感触がする。
 触れてみたいと思ってた手が私に触れて、垂れ目がちの大好きな目が私を見つめた。

「……外は恥ずかしいです」
「たまにはいいでしょう」
「だって、会社の人に見られたら睦月さんだって」
「俺はもう諸々バレてるからいいんです」
「そういう問題じゃ…ってバレてるって何が」
「気にしない気にしない」
「気にします!」

 さすがにキスはしてこないけど、顔の近さはやっぱり照れる。
 ひと通り耳や頬を撫でて満足したのか、睦月さんは私から離れて元の距離に戻り、前を向いた。