午後五時、白のハイエースに乗った黒田がアパートに帰って来る。真たちはワゴンからそれを観察する。黒田は紺色のジャージ姿で妙に周りをキョロキョロして落ち着きがない。
「帰ってきた。ホラ真、さっさと行くよ!」
 そういうと晶はワゴンのドアを開ける。
「分かったよ。ったく無茶な作戦ばかり立てやがって……」
 真はぶつぶつ言いながら晶の後に続く。馬場はいつでも踏み込めるように黒田の家が見える位置で待機する。黒田の住む部屋の前に立つと否が応でも緊張する。真は晶の『早くノックしろ視線』を後目に深呼吸を一つして気持ちを整える。これから相対する男は、殺人犯かもしれないと思うとそれも仕方がない。
 覚悟を決めて扉をノックする。しかし全く反応はなく、出てくる気配もしない。もう一度ノックをするがやはり結果は同じで出てくる気配はない。晶の方を見ると『ノックを続けろ!』というジェスチャーをする。
 真は少し間を置いて再びノックをする。相変わらず反応がなかったが今回は出てくる気があるのか、部屋でごそごそする音が聞こえる。しばらくすると写真で見た男がドアをちょっとだけ開けて顔を出す。写真で見た顔よりは少しやつれているようだ。
「なんだあんたら?」
 雰囲気と様子からして、ものすごく警戒しているのが伝わってくる。真は何も答えず少し間を置いてから、ゆっくり写真を取り出し黒田に見せる。そこには更科家への嫌がらせ行為がしっかりと映っている。
「それは!」
 写真を見せた瞬間黒田の顔色が変わる。晶の予想通りの展開だ。
「お、俺を脅すつもりか?」
 黒田の問いに真は敢えて答えず黙り込む。黒田は思いっきり動揺してブルブル震えている。沈黙ほど不気味なものはないと、晶が立てた作戦通りだ。
「何が目的なんだ!?」
 黒田は少し裏返った声で問う。しかし、真はその問いにもすぐには答えず、間を置いてから一言だけ答える。
「中で話しませんか?」
 黒田は少し迷ったようだが仕方なく中に入るように言う。黒田が背を向けて部屋に入るときの隙を見て、ばれないように晶は馬場にOKサインを出す。サインを確認した馬場はいったん車を取りに駐車場に向かう。
 部屋に入ると床は足の踏み場もないくらい散らかっている。雑誌やビールの空き缶・ペットボトルがそこらじゅうに転がり黒田の性格が伺える。真は足でそれをはじきながら部屋に入る。
「あんたら、何者だ?」
 黒田は立ったまま真と晶に聞いてくる。
「我々が誰かなんて、黒田さんにはどうでもいいことです」
 真はできるだけ感情をこめないように心がけて話す。黒田は落ち着かない様子で足踏みを繰り返す。
「目的はなんだ? 金か?」
「僕たちが求めてるものは黒田さんの裏についている者です」
 真は晶の教え通りカマをかける。
「おまえら、どこまで知ってるんだ? カマをかけて聞き出そうとしても無駄だぞ」
「分かりました。では外で待機している仲間に連絡し、当局にあなたの身柄を渡しましょう。もちろんこの写真のネガ付きで……」
 晶は真の背後からネガをチラっと見せる。
「ぐっ……、分かった。話せばいいんだろ? でも、話したら写真とネガは渡してもらうぞ! いいな!」
 黒田は決心したようでその場にあぐらをかいて座り込む。背後にいて分からないが晶は内心ニヤリとしているだろう。
「分かりました。では聞きます。まず、あなたの裏についている人物は誰ですか?」
「丸武の会長だ」
「やはりインサイダー取引のパイプ役だったんですね」
「ちっ、知ってたのか……」
「我々の仕事は裏を取ることです。黒田さんのことや丸武会長のやってきたことは概ね把握してます。もちろんあなたが一家を殺害してないことも」
 その言葉を聞いた黒田が驚く。
「何!? な、なんでそんなことまで知ってるんだ! まさか、あんたらが俺にあの探偵事務所での件を依頼したのか!?」
(探偵事務所の件?)
 真は晶を見る。晶はお決まりの腕組みをして思考に入る。
「その件に関しては我々は関与していません。どういうことですか?」
 真はストレートに疑問をぶつける。
「知らないのなら話す必要はないだろ」
 黒田は少し強気に出てくる。しかし、今まで黙っていた晶が一気に落としにかかる。
「黒田さんは自分の立場を分かっていないようですね。これらの証拠を当局に提出すれば、あなたはやってない一家刺殺放火事件及び探偵事務所所長の殺害放火事件の両方の嫌疑で問われる。これらがある以上あなたは私たちの質問に答えるしかないんです。探偵事務所の件の経緯を話して下さい」
「……分かったよ。でもお前ら勘違いしてるぞ。俺は探偵事務所の所長なんて殺しちゃいない。探偵事務所には行ったが、そこで俺が殺したのは丸武だ」
「えっ、ちょっと待って。もう一度確認するけど探偵事務所であなたが殺害したのは、事務所の所長ではなく丸武だったのね?」
「あぁ、何度もそう言ってるだろ。事務所には丸武だけがいて所長なんてヤツはいなかったよ」
(じゃあ、久宝さんは一体どこへ消えてしまったんだ?)
 晶も同じことを考えていたようだが思考を切り替えて話を戻す。
「それはいいとして、何故あなたと丸武は事務所に行ったの?」
「丸武がなんで事務所にいたのかは知らないが、『一家殺害の現場で俺が置き忘れたナイフを持っている者だ』という電話が知らない女からあったんだ。その女は、証拠のナイフと探偵の持っていた調査資料の二つと引き換えに、丸武の殺害を依頼してきた」
「具体的にその電話がきた日時を教えて」
「確か昨晩の十時半くらいだった」
「殺害の時刻は?」
「十一時過ぎだったと思う。そのあとすぐまた電話があって指定のコインロッカーに行ったら女の言うように俺のナイフと調査資料が入ってたんだ」
「なるほど。つまりあなたは木曜日に更科氏宅に訪問して一家の殺害現場に遭遇、動揺しているところに見知らぬ女性が家に入ってきて思わず背後から殺害し、そのナイフを残したまま逃走。しかし翌日のニュースを見ると殺害の凶器は無くなっている上に放火までされていた。そして、真犯人と思われる女性に証拠を盾に丸武殺害を強要され依頼を遂行、犯行後真犯人の言う通り凶器のナイフを回収できた、こういう訳ね?」
「そうだ」
「その女性に関して身に覚えはある?」
「全くない。あの事件は俺の方がどうなっているのか知りたいくらいだ。なぁあんたら、俺の無実を証明してくれないか?」
 黒田はそう言うと手を合わせて懇願してくる。
(天野さんを殺しておいて無実だと? ふざけるなよ)
 怒ろうとする真を遮るように晶が前に割り込む。
「分かったわ。当局には仲間がいるからうまく取り計らう。そのかわり、更科氏の事件についてあなたが知っていることをすべて私たちに話してもらうのが条件」
「本当か!? それなら全部話す!」
「契約成立ね。じゃ、事件当日の動きを話して」
「分かった。知ってるとは思うが、俺は株取引で丸武建設と市の役員の連中の仲介をしていた。その取引でこっち側が有利になるように裏工作をするのも俺の仕事だ」
「強要やら誘拐ね」
「そうだ。更科もその旨い汁を吸ってた一人なんだ。そしてヤツは今までのヤツと同じように欲張って、もっと利益を要求するようになってきた。そこで俺は丸武の極秘指令で更科のオシオキをしようとした」
「しかし、オシオキのつもりで家に入れば一家は殺害されていた」
「ああ、殺害の件は丸武にも寝耳に水だったみたいだ。あとはおまえが言ったような感じだ。なぁもういいだろ? ネガと写真を渡してくれよ」
「ちょっと待って。事件現場の状況についてもう少し聞きたい。あなたは勝手口から侵入したんでしょ? 真犯人と遭遇しなかった?」
「入ったのは確かに勝手口だが、会ってもないし、見てもいない」
「入ったとき何か違和感を覚えたり気づいたことは?」
「勝手口から入った瞬間に死体があってビックリしたよ。それでもうパニックだった。違和感とか感じる暇もなかった」
 これ以上有力な情報は得られないと判断した晶は真を見てミッション終了のジェスチャーをする。
「分かったわ。じゃあ約束通りこのネガと写真を渡す」
 晶は真から写真を受け取りネガと一緒に渡す。
「では我々はこれで失礼します」
 真はそういうと部屋を出ようとする。しかし写真を持った黒田が真を呼び止める。
「よく考えれば、このままおまえらを返すのは危ないよな? 誰かにチクらないとも限らない……」
 黒田はそういうと床からゆっくり立ち上がる。いつの間にか手にはサバイバルナイフが握られている。
「バカに付ける薬はないとは、まさにこのことね」
 晶はやれやれといったふうにため息をつく。
「バカだと? ガキのくせにいきがりやがって!」
 晶のセリフに逆上して黒田はいきなりナイフをかざして晶に襲いかかってくる。しかし、次の瞬間黒田は思いっきり後方に転倒して頭を打つ。
「なんだ?」
「やっぱバカね。自分で散らかしたペットボトル踏んで倒れてる」
 後頭部を打ってもんどりうっている黒田に晶は近づく。そして黒田の顔を見てニッコリした。きっと黒田が気絶する前に見た最後の映像になっただろう――――


――十分後。
「はい、じゃあこれが黒田とのやりとりを録音したレコーダーとネガと写真。内容には丸武との話しも出てるから悪の巣窟を根こそぎ挙げれると思う」
 晶はニッコリしながら馬場に証拠品を手渡す。黒田とのやりとりがすべて済んだ後、馬場の要請で本部の捜査員や鑑識が大勢やってきていた。その隣では顔面を骨折して気を失っている黒田が救急車で運ばれている。
「危険な仕事をしてもらって感謝する」
 馬場は深々と禿げた頭を下げる。
「いえ、馬場さんにだけでなく僕たちにもメリットや目的はあった訳ですから気にしないで下さい」
「いや、でも一般市民の君らにこんなことをさせて悪いと思ってるよ」
「な~に言ってんだか。一般市民どころか浮浪者みたいなおっちゃんが黒田に会っても話しにならなかったって。あたしと真だから油断して中に入れたってところもあるんだから」
「ふ、浮浪者……って、アッちゃんきついなぁ」
 馬場は毒舌満開の晶に苦笑いする。
「レコーダーにはあたしたちが誰なのかは分からないようになってるけど、証言や事情聴取が必要になったら携帯にかけて呼んで」
「あぁ、分かった。アッちゃんたちはこれから真犯人を追うのか?」
「当たり前でしょ。兄さんが生きてることが分かったのは良かったけど、消息不明というのが気になるし、丸武殺害を強要した真犯人も不気味。黒田のアホから得た情報は皆無に等しかったからまた一から推理し直してみる。何か分かったらおっちゃんにも報告するから、おっちゃんの方でも何か分かったら連絡して」
「分かった。捜査もいいが、犯人には十分気をつけろよ。今回の犯人は凶悪だからな」
「愚問」
 晶は即答する。馬場はいつも自信満々の晶に苦笑する。
「見てのとおり晶はやんちゃだから、真君には世話をかけると思うが晶をよろしく頼む」
「いえ、力になってもらってるのはこっちの方ですよ。晶の行動力はいつも目を見張ります」
「そうそう、世話をしてるのはあたしの方よ」
 自慢げに晶は言う。真は突っ込む気力すらない。
「なんにせよ、二人共気をつけろよ。あと、深追い厳禁だ。いいな?」
 馬場は真剣な表情で念を押す。それだけ二人のことを心配している証拠だ。
「分かりました。十分気をつけて行動します」
 真摯に返事をする真とは極端に、晶は知らんぷりをしてとっとと駅方面に歩いている。
「ま、アッちゃんに言っても無駄か。真君、大変だろうが晶を頼むよ」
「分かりました」
 真は馬場に一礼してから小走りで晶の方に向かう。馬場は二人の背中を心配に見送った。