午前一時となるとさすがに報道陣の姿はなく、事件現場には焼け残った残骸だけがひっそりとたたずんでいる。まだ警察の現場検証があるのか分からないが、母屋の入り口付近には立入禁止とプリントされたテープにより遮られている。
 テープを止めてある門扉の柱には『更科』(さらしな)という表札がかかっていた。 真には中に入ろうという考えはさらさらなく、そのテープの外から残骸を眺めている。事件が起きたのが数時間前ということもあり、焼け跡からはまだ焦げ臭いにおいが漂っている。当時この臭いの中に人の焼けた臭いが混ざっていたのだと考えるだけで嫌な気持ちになる。
 ニュースによりここの家族である、祖父母、両親、子供の五人と身元不明の女性の計六人が殺害され、その後母屋に灯油を撒かれた上に放火されたことが判明した。  
 今回の事件では金品の盗難はなかったみたいだが、この手の凶悪犯罪が最近は増えている。それが自分の身近に起こると治安の悪化ということを身にしみて感じてしまう。
 この事件で何より特異なのは家族以外の者も被害に遭っているという点だ。推定二十歳~三十歳くらいの女性ということは分かっているらしいが、それ以外は何も判明していない。そして、その女性だけが唯一庭で倒れていたらしい。
 その謎の女性による無理心中という路線も言われていたが、凶器が見つかっていない点から犯人はこの一家に恨みを持つもので、たまたま何かの用事で訪れた女性が被害に遭ったのだという見方が濃厚になっていた。

 真は寒気を感じながらその現場を見る。焼け跡の所々には警察が付けたであろう白いマークみたいなものが見られる。その中でふと一つのマークが目に留まり、よく見るとそれは柱の横に長く太く書かれてあり、丸みを帯びていてどこか変だ。
(何かチェックするにもあんな大胆に印を付けるだろうか?)
 真は目を擦りもう一度それを見てみる。その白いマークはちょっとずつ横に動いている。
「ん!? 何だあれ?」
「あれは猫よ」
 真の背後から突然女性の声がかかる。
「うお!」
 真はビックリして声を上げ跳びのく。そこにはスーツ姿の女性がいつの間にか立っていた。
「そんなに驚かなくてもいいでしょ? 失礼な」
 その女性はムッとした表情で真を睨む。髪はロングで年の頃は二十五、六といったところだろう。一見するとバリバリのキャリアウーマンのようだ。
「失礼って、背後からいきなり声をかける方が失礼でしょ!」
「一理ある」
 女性はあっさり認めるが、それと同時に自分は悪くないというオーラも漂わせている。幽霊ではと疑ったが足も地についているし、顔色もしっかりしており、むしろそのふてぶてしさが腹立たしいくらいだ。
 焼け跡の方を見ると、女性の言うように白と黒の混じったよく肥えた野良猫がのしのしと歩いている。
「まったく。どいつもこいつも紛らわしい……」
「そのどいつかこいつかのいずれかに私が入ってる?」
「残念ながら漏れなく入ってますよ」
 真はイヤミを込めた目で女性を見る。
「あらぁ、残念。これからお世話になろうと思ってたのに、好印象を持ってくれなかったみたいね」
 女性はアメリカンチックで大げさなボディーラングエッジで『やれやれ』を表現する。
「背後から突然声をかけるような人に好印象を持つ人の方が少ないと思うんですけど……、ってお世話になる? 誰に?」
 真は素で聞き返す。
「ん? もちろん、あなたよ。あなた」
「ん?」
 真は身を乗り出して自分を指さす。
「そっ、あなた」
 女性は笑顔で返す。
「えっと、ですねぇ……、まずどこから突っ込んでいいのか分からないんだけど、とりあえず、何で僕なんでしょうか?」
「ちょうど目の前にいたから、かな」
「…………」
「他に質問は?」
「いや、もうあり過ぎて何を言っていいやら…」
「じゃあ、しばらくヨロシクね」
 女性はにこやかに手を差し伸べる。
「いやいや、ヨロシクじゃなくて。無理」
「何で?」
「何でって。何でじゃない理由を探す方が困難ですって」
「う~ん、そんなこと言われてもこっちも困るのよね~。ホラ、都合とかあるし」
(逆ギレかよ、なんなんだこの女)
 呆れ顔で見つめていると女性はにこやかな表情を見せる。
「まぁ、そんな訳でヨロシクね」
「あの、一つ言ってもいいですか?」
「どうぞ」
「もう帰っていいですか?」
「あ、ごめん。もう深夜だもんね。気がつかなかったわ。とりあえず細かい話は家でしましょうか」
(付いてくる気まんまんだ、こいつは絶対オカシイ。逃げよう!)
「あっ! お姉さん後ろに変な人が!」
「えっ!?」
 女性が振り向いた瞬間、真は一目散に走り去る。後ろを少し見ると女性は呆然として立ち尽くしている。
「やばいやばい、あの人絶対オカシイよ。関わらない方が身のためだ」
 真は走りながら何度も後ろを振り返り付いてこないか確認した。今年高校に入ってからは何もしてないが、中学の頃はサッカー部だったこともあり走りには自信がある。
「振り切ったか?」
 真は自宅のマンション前で一息つく。
(追いかけてくるような雰囲気もなかったからもう大丈夫だろう)
 エレベーターに乗り最上階である七階のボタンを押す。ゆっくりとドアが閉まり液晶パネルの数字が一つずつ進んで行く。
 真の住むマンションは公務員のために与えられた社宅で、いわゆる官舎だ。父が外交関係の部署に所属しており、一年の大半は海外で過ごしている。
 最近顔を合わせたのが高校の入学式のときで、それから三カ月以上は帰宅していない。 その間は自分と母と妹の三人で過ごすことになり、真は少し肩身の狭い想いをしていた。

 エレベーターを降りて家のドアの前に立つと、念のため廊下を見る。誰も着いてきていないことを再確認すると、ため息を吐いて真は家のドアを開ける。
「あっ! こんな時間にどこほっつき歩いてたの! 怪しい~」
 玄関に入った早々、パジャマ姿の朱音(あかね)から攻撃に遭う。この家において二番目に権力を持っているお方だ。
「どこって、散歩だよ散歩」
「とか言って、よからぬことをしてたんじゃないの? エッチ~」
「なんで話がそっちに行くんだよ、ったく。おまえこそさっさと寝ろよ」
「お兄ちゃんこそ、ね」
 朱音はニヤリと意味深な顔をしながらトイレに入って行く。
「なんだかな、あいつは。とりあえず牛乳飲んでからさっさと寝るか……」
 キッチンに向かい牛乳を飲み干してから自室に入る。部屋の広さは五畳でパイプベッドに勉強机、パソコンに本棚、衣装ケースとそれなりの物が揃っている。
 部屋の明かりを付け上着を椅子に引っかける。机の上は綺麗に整頓されており、今月のスケジュール表がデスクシートに挟んである。七月の予定は期末テストと生徒会総会合くらいだ。
 真は中学の頃から生徒会の役員で、その実績からか高校に入学してからも担任に推薦され、しぶしぶ引き受けることになった。父が外交官だからといって自分までそんな仕事はしたくないと思っているのに、どういう訳かいつもこんな状況になっていた。 スケジュール表を見ながら真はため息を吐く。
「なんか、周りに流されてるよなぁ……」
「そうそう、大人はみんな汚いのよ」
(ん!?)
 またしても背後から聞こえてくる女性の声に振り返る。 目の前にはさっき事件現場で会った女性が腕組みをして立っていた。
「うっ!」
 叫びそうになるのを堪えて平静を保とうと一呼吸おく。女性はそれを見透かしたようにニコニコしている。
「ちょっと、待ってもらえるかな?」
 制止のポーズを女性に向け、やっとの思いでそれだけを告げる。
「え~と、何から聞こう。まず、どこから入ってきたんですか?」
「どこからって、もちろんあなたと一緒に玄関から」
(おかしい、家に入る前に誰もいないことを確認したし、ドアの鍵だってちゃんと閉めたはずだ)
「じゃあ、なんでここにいるんですか?」
「なんで、かぁ~。しいて言うなら、運命的な出会い? かな」
(めっちゃ嘘くさい……)
「えっと、僕に断りもなく勝手に家に入って失礼だとは思いません?」
「うん、思うわ。ごめんね、今度から気をつけるわ」
(ダメだ、完全にこいつの方が上手だ)
「あなたは一体誰なんですか?」
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのがマナーじゃなくて?」
(人の家に勝手に入ってくるのはマナー以前の話のような気が……)
「真です、草加真(くさかまこと)」
「真君ね、私は天野遙(あまのはるか)、よろしくね」
(聞いたことのない名前だ。よろしくね、って何をよろしくなのか分からないのに、どう答えろと言うんだ。っていうか、今までの状況から判断するとやはり……)
「あの……」
「はい?」
「もしかして幽霊ですか?」
「はい、幽霊です」