息を切らして真は本屋の前に着く。時間の確認はしていないがおそらく十時二十分過ぎくらいだろう。息を整えながら本屋の中心にあるカフェに向かう。十時を回っているのにも拘らず人の数は変わりなく繁盛しているようだ。カフェはオープンカフェ風になっており、三十席ほどのテーブルの中心にキッチンが有りそこにウェイターが一名常駐し配膳等をしている。
 カフェに着くとまず鹿島を探す。この時間帯に制服は目立つので、まだ帰ってないとしたら制服姿の女性を探せば見つかるはずだ。
「いないみたいね。怒って帰ったのかも」
 遥は耳元でささやく。
「悪いことしたな、電話をいれて謝るよ」
 真は店の外に出て携帯の電話帳に載っている優の番号に電話をかける。二、三回コールした後で優が電話に出る。
「もしもし? 先輩、草加です。すいません。偶然知人に会ってしまい話し込んでいたらこんな時間になってしまいした」
「そうなの? 私はてっきり帰ったのかと思って今帰宅してるとこよ」
「すいません。今度埋め合わせしますから」
「あ、言ったわね? じゃあ明日改めてそこで会わない? さっき気になった店があってショッピングしたいから」
「明日ですか? う~ん、できれば明後日の日曜日はダメでしょうか? 明日はちょっと都合が悪いので」
「明後日か、分かった。じゃあ日曜日に決定! 日曜日の朝十時に八雲駅の改札で待ってるから、じゃ!」
「えっ……」
 真が返事をする前に優は電話を切ってしまう。後ろを振り向くと予想通り遥はニヤリとしている。
「じらし作戦成功ってとこかしら?」
「んな訳ないだろ!」
「照れない照れない。真君だってまんざらじゃないんでしょ?」
「それは、その……、人として尊敬できるなって部分が多い人だけど、異性としてどうとかいうのは考えたことはありませんよ」
「はいはい」
「はいはいって、適当な、とにかくそんなことより今は事件のことを考えないと」
「うまくこの話題から逃げようとしてるし。でも真君の言うことも正論だし、今日はもう帰って次の作戦を練った方がベターね」
「ええ、続きは帰宅してからにしましょう」
 内心ホッとしつつ携帯をしまうと、駅に向かうエスカレーターに乗った――――

――帰宅してからは朱音と洋子への弁明で一ラウンドあったが、難なくかわし事なきを得た。朱音はどう思っているのか分からないが、洋子には一応信頼されているらしく、人に迷惑をかけてなければ基本的には放任だ。
 部屋に入ると念のために鍵をかけ事務所で預かったファイルをリュックから取り出し携帯と一緒に机に置く。
「さて、これからどうするかだけど、その前に天野さんが知ってることを全部話してほしい」
 真はファイルの一ページ目を開きながら遥に訪ねる。
「全部って言われても、そのファイルにとじてある資料くらいしか私は知らないわよ。実際、黒田の身辺を調査したのは久宝さんだし」
「じゃあ、黒田のことは措いといて、実際に事件に遭った当時の状況を教えて下さい」
「分かったわ。まず更科さんの希望で急きょ木曜日の夜八時に更科さん宅に向かったの。で、呼び鈴をいくら鳴らしても応答がなく、不審に感じて家のドアを開けた……」
 真は遥の語る状況を紙にメモしていく。
「開けて何か違和感とか覚えました?」
「違和感? よく覚えてないわ。ただ、妙に静かだったってことは覚えてる。生活音っていうのかな? それが全くしなかった」
「なるほど。じゃあ犯人は呼び鈴に反応して潜んでたってことか。続けて下さい」
「で、不審に思って玄関に入って、すぐに目についたのが血よ。血が廊下に点々としてたの。それが階段にも続いてた」
「ふんふん、それで天野さんはどうしたの?」
「廊下の血の跡を辿ってリビングに入ったの。そこで更科さんたちの遺体を発見した」
「リビングでみんな亡くなってたんですか?」
「いいえ、リビングでは更科さん本人と奥さんとおじいさん、キッチンでおばあさんが亡くなってた」
「息子の勇気さんは?」
「知らないわ」
「えっ? ちょっと待って下さい。天野さんは一家全員の遺体を見たんじゃないんですか?」
「ん? 私は一家の遺体は見たと言ったけど、一家全員の遺体を見たとは言ってないわよ」
「そう言われれば……」
「警察の司法解剖でも一家として間違いないと報じられてるし、死亡推定時間も五人とも同じくらいと言ってた。私が見た状況からも二階には勇気君の遺体があったとみていいんじゃない?」
「そうかもしれない。じゃあ天野さんは何で二階に行かなかったんですか?」
「キッチンで刺されたからよ。そこまでしか行けないでしょ?」
 遥はちょっと怒ったように言う。
「すいません。じゃあ、少し見たという犯人のことについて何か覚えてます?」
「犯人かぁ。目出し帽の印象が強くてよく覚えてないのよね。刺されたショックも大きかったし……」
「服装とか覚えてません?」
「上下白のジャージだったわ」
「白のジャージ……、柄もなく無地でした?」
「そういえば、ライオン? か何かが走ってるマークが胸に付いてたわ」
「プーマですね。本当にそのマークだけでした? 斑点とかありませんでした?」
「え? うん、なかったと思う。なかったからライオンマークがはっきり見えたんだし。どうして?」
「………これは複数犯ですね」
「えっ?」
「天野さんを刺したという犯人ですけど、天野さんを刺す前に最低でも四人刺してるはずですよね? 上下白のジャージに全く返り血がないなんて考えられない。天野さんを刺した犯人と更科さん一家を刺した犯人は別人の可能性があります」
「……そっか、そう言えば変なこと言ってたわね」
 何か思い当たるふしがあるのか、遥はぶつぶつ言い出す。
「天野さん、何か心当たりがあるんですね?」
「うん、心当たりというか。返り血の話と刺したときの犯人の態度の意味が一致したの」
「どういうことですか?」
「犯人は刺したときかなり動揺して震えてたのよ。かすかに『こんなつもりじゃ』とか言ってた気がするし」
「こんなつもり……、つまり刺すつもりではなかった、ということなんですか?」
「分からないけど多分そう思っていいんじゃないかな?」
「ふむ……」
(状況から考えて、犯人が複数の可能性は高い。仮に犯人が二人で協力し犯行したと考えて、一人が一家五人を殺害してもう一人が見張り役だとする。見張り役は殺害する気がなかったのに、突然入ってきた天野さんに動揺し殺害して例の態度、これはあり得なくもないか。もしくは、犯人が自宅に他の目的で侵入したら、偶然既に亡くなっている一家に遭遇し、ビックリしているところに天野さんがやってきて、見つかって自分の犯行だと思われるのを恐れて刺した、か……)
 真は耳たぶをさすりながら長い沈黙に入る。遥は真が口を開くのを静かに待っている。
(しかし、勇気さんのことも引っかかるな。殺害の順番を状況から考えて、リビングの三人→キッチンのおばあさん→二階の勇気さん、というのは考え難い。リビングの三人の段階で悲鳴や激しい物音がして、二階の勇気さんが降りてくるハズだ。故に、二階の勇気さん→リビングの三人→キッチンのおばあさん、と考えるのが妥当だ。待てよ、そう考えた場合、二階に上がるには普通は玄関から訪問した上で二階に上がらなければならない。つまり勇気さんの知り合いとして二階に通されるか、まず普通に通されてからトイレに行くフリとかをして二階に上がらなければならない。どちらにせよ更科家の誰かと面識がなければならないってことになる)
「天野さん。更科家の間取りとかは分かります?」
「間取り? ん~、全部は分からないけど一階くらいならなんとか分かるかな」
「ちょっと紙に書いてもらえます?」
 天野にペンを渡し紙に間取りを書かせる。玄関が二畳くらいの広さで、まず右正面に二階への階段があり、階段の左側にリビングと和室とキッチンに繋がる廊下がある。玄関から手前に、和室→リビング→キッチンで、広さは、六畳→八畳→六畳となっている。トイレは階段の下にあり、バスはキッチンの奥に配置してあった。