私はあれから野田先生を半年諦めることができた。

それは
先生のお子さんが生まれることともう一つ
先生が異動になってしまったから。

会えなくなった数日は苦しかった。
交換ノートの最後のページにはいつもは書かれていない日付と文が書いてあった。