心の中で、もう一度念じてみるものの。

蕎麦屋の出前じゃあるまいし、魔王様が都合よく現れてくれるはずもないわけで。

まるでスローモーションのように、ゆっくりと、颯太の唇が近づいてくる。
私は息を吸って素早く目を閉じると、渾身の力で、颯太を突き飛ばした。

そりゃ、抱かれたい男ナンバーワンなんだから、まさか、キスの直前に突き飛ばされるなんて、予想もしてなかったのだろう。

颯太の身体は後ろへ下がり、ばたんとしりもちをついた。
私はその間に全力疾走で校舎に向かう。

どんっと、震える手で扉と鍵を閉め、階段を駆け下りた。

「早乙女、階段は走るもんじゃないぞー」

私に声を掛けたのが、数学教師の駒木だってことも、もはや気に留めることもなく。
私はそのまま、上履きのままで学校の外へと走り出していた。

「キョウ、お願い。
助けてよ」

何度も何度も、指輪に語りかける。

はたからみたら、誰よりも私が一番狂っているように見えるに違いないって言うのに。

セーラー服で。
うわばきのまま。
駅前の商店街を全力疾走し、私はひたすら指輪へと、否、他の誰からも見えてないだろうから左手の薬指へと、喋りかけ続けている。


「……お願いだから……」

頬が濡れているのは、涙なのせいか、汗なのか。
そんなことはもう、どうでも良くて。


駅までついてはじめて。
定期もお金も学校に置きっぱなしなことに、気がついた。