一通り話を聞いた彼女は、静かに涙を拭いた。鼻の先が少し赤くなっている。 「日比野くんが小学校に上がる前で、なにか記憶に残っていることはないの?」

 
森下さんは、僕にそう尋ねた。
 
事故により失ったのは小学生の頃の記憶だけだが、幼さによりそれ以前の記憶もあいまいだった。

でも、森下さんに自分のことを伝えたい一心で、僕は記憶の引出しを 一生懸命に探した。

「うーん、僕が一番覚えているのは、両親と一緒に町の中を散歩していたことかな」
 
僕の住む町は、茶屋街や大きな美術館、日本庭園、一般の人も多く訪れる市場などがあり、散歩する場所には事欠かない。

もちろん、かおるくんと出会った公園にもよく行った。

この町は古い町並みも残り、伝統工芸や日本古来の食文化も継承されているので、年配の観光客が多く訪れている。


テーマパークとかそういったものはないが、 僕は小さい頃からこの町のことが好きだった。
 
僕は、両親と手をつなぎながら、いろんなところを見て歩いた。


季節の移り変わりを、肌で感じながら。

気に入った風景があると、僕は立ち止まって落書き帳によく絵を描いていた。


両親は、そんな僕を見守り、待っていてくれた。
 
そんなことを話しているうちに自分も懐かしい気持ちになってきた。


「なんだか日比野くんらしいね」
 
そう彼女は微笑みながら言った。


彼女は、幼い頃の僕の気持ちになっているのだろう。


安心し、とても満たされた温かい気持ち。

それをすべて入れ込んだかのような言い方だった。
 
その言葉と笑顔を見て、僕はあることに気が付いた。





ひとりで思い返すと孤独を感じるけれど、彼女のように優しい人と思い出を共 有することで、ひとりじゃないから大丈夫、と思えるのかもしれない。




「……うん。ありがとう」
 


やはり、彼女に話してよかったと僕は思った。




言いたいことはもっとあるはずなの に、なんだか胸がいっぱいになって僕はそれだけしか言えなかった。