体を売る事に抵抗があった新人の頃は、逃げる事ばかり考えていた。
遠くの地方に、アパートを探した事だって多々あったんだ。
でも実行に至る事はなかった。
それはオーナーや藤原がことごとく、悪夢を見せてくれたから。
いつしか私達は逃げる事を諦め、守る事に徹(テッ)してきた。
だから今更、誰が何と言おうと変わる事はない。
そう思ってたのに……
『嫌なんだよ。 アユが傷付くの』
辛そうに眉間の皺(シワ)を寄せる十和の顔を見ただけで、息が苦しくなるなんて。
『傷付いてなんか……』
傷付いてなんかないよ。
もう慣れたんだもの。
今更どうだっていいのよ。
『じゃあ何で……!』
珍しく、十和が声を張り上げる。
でも、もう会話を続けたくなかった。
だって、私が可哀相だもの。
惨めになるもの。
だから、終止符を打った。
『十和はお客さんなんだから、口出ししないで』
十和にとって一番有効な台詞。
「他の客より特別になりたい」
前にそう言った十和の言葉を、最大限に利用した、最低な台詞。
もう嫌いになってくれていい。
放っておいてくれたらいい。
そしたら楽になれると思うんだ。
『アユ』
しかし、しっかりと芯のある声で呼ばれ、反射的に顔を上げてしまう。
その瞬間、静かに唇を塞がれた。
生暖かい十和の唇で……
『何してんのよ!?』
いきなりの事に、私は思い切り十和の頬を叩(ハタ)いてしまってた。
パーンと乾いた音は、一瞬で波音に掻き消されていく。
『客じゃないよ、俺。 だから絶対に謝らない』
真っ直ぐ、私に向く視線。
鋭くて、でも悲しげな……
【無茶してた時あって】
そんな十和の言葉に信頼性が増すような表情だった。
と同時、私の中で何かがボロボロと崩れていくのを感じた。
今まで頑張ってきた事。
我慢してきた事。
失ってきた物。
崩れたのはその全てかも知れない。
それは、言葉に表す事の出来ないほど曖昧な事。
だけど、「十和ともっと早く出会いたかった」と、強く思った事。
そう思ったのは、確かだった。

