「――嘉門くん…」

目の前にいる男の名前をまやは呟いた。

忘れる訳がない。

10年前――大学時代に初めて好きになって、初めてつきあった男のことを忘れる訳がない。

そして自分を裏切って、心に深い傷を負ってくれたこの男のことを忘れる訳がない。

「久しぶりやな、元気にしとったか?」

関西弁独特のイントネーションで、男――嘉門がまやに声をかけてきた。

まやは答えることができなくて、ただ恐怖で躰を震わせることしかできなかった。

「まや、どないしたんや?

気持ち悪いんか?

寒いんか?」

狼谷の質問にも答えることができない。

「誰や、こいつ?」

嘉門が狼谷の存在に気づいた。

「誰やって、自分こそ一体誰なんや。

相手に名前を聞くよりも、自分の名前を言うことが先やろ」

狼谷が嘉門に言い返した。