「ついでに、なんでバスの中でたまに見るぐらいの想太くんを好きになったのかっていうとね」

「ごめんそれ大本命だと思うんだけど」

「想太くんが親切さんだったからだよ」

「その親切さん、ずっと気になってたんだ…」


彼女が初めて僕に声を掛けてくれた時に言っていた言葉。

彼女が当時を思い出すように目を閉じて、長いまつ毛が重なり、その表情はとても優しいものだった。


「言葉のまんま、バスの中で色んな人に親切にしてるのを見てたんだ。妊婦さんとかおばあさんに席を譲ったり、泣き出しちゃった赤ちゃんを泣きやませようとしたり、小銭の計算が出来なくて半泣きになってた小学生に教えてあげてたり、降りて行った人の忘れ物に気づいて、その場で降りて届けたり……本当に親切で優しい人なんだなって、ずっと見てた」

「……そんな大層なことじゃないよ」

「大層なことじゃないって言えるのがすごいんだよ。だって正直めんどくさいもん、見ず知らずの人に親切にするなんて」


手放しで賞賛されたことなんて今までの人生であまり無かったことで、照れるやら嬉しいやらで、また僕は何も言えなくなってしまう。

本当に大したことではないと思っていて、自己満足みたいなものだったから、それを褒められたのがまた更に僕を照れさせた。

照れる僕を横目に、彼女はまた悲しげに眉を下げた。

ほんの少しの雲行きの変化に、僕は敏感になっていた。


「その時の私、男性不信みたいな感じだったから」

「………」

「高校2年生の時にね、お母さんに彼氏が出来たの。最初はその彼氏も優しくて、これでお母さんも幸せになれるって思ってたのに……だんだん、家に入り浸るようになっていった。お酒を飲んで酔っ払って、私たちに暴力を奮うようになって……今でも夢に見る、3年生の2学期、私とお母さんは夜逃げ同然に家を出た」


彼女は自身の腕をさすりながら、辛い過去を話してくれた。

これは、初めて聞いた話だった。

痛みに耐えるような表情に、僕まで辛くなっていく。


「でも、大学生になってから想太くんを知って、人に親切にしているところを見るたび、私の中で少しずつ傷が癒えていった。こんなに優しい男の人もいるんだって」


まるで雲の切れ間から太陽の光が差し込むように、彼女の口元が少しずつ綺麗な弧を描く。


「いつも、あなたが誰かに親切にしているのをお母さんに話してたら、お母さんも、いつの間にか恋愛に前向きになっていって……今、彼氏がいるんだよ」


初めて彼女のお母さんに会ったとき、最初は少し怯えたような顔をしていた。

でも、手料理をご馳走になって、話をして、食器を洗いたいって言う僕と、そんなのいいからって言うお母さんとで揉めて、そうするうちに気軽に接してくれるようになった。


「想太くんのこと、最初はただ親切でいい人だなって思ってたんだけどね。だんだん、雨の日にバスに乗るとき、いっつも探すようになってて、あの日鍵を届けられたのは、ずっと見てたからなんだ……あはは、ごめんちょっと気持ち悪いかも」


照れたように困り眉で笑う彼女に、必死に首を横に振って見せたら、ちょっとおかしそうに笑った。


「夕雨、ありがとう」

「え…?」

「出会ってくれて、ありがとう」

「……お礼なんて要らないよ。救われたのは私の方だから」

「告白してくれて、ありがとう」


僕の言葉に、彼女は何も言わずに頷いた。


彼女には辛い過去があった。

たくさん傷ついて、信じられなくなって、それでも彼女は僕を信じて、告白してくれたんだ。
それは相当の勇気が要ることだったことが、今になってわかる。
あくまでにこやかに想いを伝えてくれた彼女は、その裏で、自分の過去と闘っていた。


「ありがとう」

「……」


もう一度頷いた彼女の瞳から、はらはらと涙が落ちた。


僕は大切にしなくちゃいけない。

また彼女が傷つかないように、もしまた傷つくことがあっても、それはきっと二人一緒だ。


「そう言えば、シフォンケーキ食べなくていいの?」

「あっ忘れてた!食べる食べる」


途端に、ぱっと表情に明りが灯り、綺麗な指に包まれたフォークがふわふわのシフォンケーキに沈んでいく。

幸せそうに頬張りながら僕にも勧めてくる彼女は、たぶん僕なんかより数倍強い。

言葉を間違えるのが怖くて、言いたいことが言えずにいる僕なんかより、ずっと。


彼女がシフォンケーキを食べ終えると、飲み物をお替わりして、店を出た。

雨も弱まり、☂傘を指すか指さないかで丁度迷うくらいの天気だった。

僕たちは手を繋いで、先ほどの青い折りたたみ傘は閉じて、向かうのはいつものバス停。


彼女は、さっきから真っ直ぐ前だけを見ている。

でも僕は、彼女ばかり見ている。

左手に感じる柔らかな体温も、どこかよそよそしい。

ふと、耐えられなくなった。


「夕雨、隠しごとは無しだよね」


数倍強そうに見せているだけで、本当は違う。

彼女も僕も、僕の言葉を期に動きを止めた。
それでも尚、夕雨は僕の方を見てくれない。むしろ、どんどんそっぽを向いていく。