月と太陽 ―Moon is beautiful―






「なぁ。悠人。」

翌日。俊君の一段と低い声で楽屋が凍り付く。
暖房でベタベタに溶けたチロルチョコレートを頬張った。



「ん?」

だいたい、なに言いたいのかは分かってる。
マツも目線で送ってきた。




“手、出したんでしょ。悠人。”








「皐月が失踪した。…といっても、実家に帰るっていうメモを残してるけど。
なんか、知ってるか?昨日の様子、明らかに違ってたとか。」



「はぁ!?」


失踪の言葉に一番反応したのはマツだった。
なんだなんだ、と俊は戸惑う。




「マツ、珍しいな。そんな声をあげるなんて。
なんか心当たりあんのか?」

険しい表情が緊急事態であることを物語る。
その瞬間、自分の中でぐるぐる、回り始めた。

俺が手を握ったから?

俺が“俺にしとけよ”なんて言ったから?

俺がキスしたから?




重苦しい楽屋から逃げ出す様に出れば、マツが血相を変えてトイレで仁王立ちしていた。
いつ、先に回ったんだ?と戸惑ったが、その口から出た言葉は多分一生忘れねぇと思う。




「悠人!!女を傷つけたのかよ!?
悠人らしくないじゃないですか!!」



「はぁ…?マツに何が分かるんだよ。」


“分かる、分からないの以前の前に!”


マツは恐ろしく動揺していて。
こけている頬は青白くなっていた。



「手、出したんでしょ。ハル。」
「出してねぇよ、皐月さんが失踪したとか俺、全然関係ねぇし。」


マツは、目をキョロキョロさせてあたりを確認すると、思いっきり俺の頬を殴った。


「何やってんだよ、目を覚ませ…。」
「なんで、マツはそんなに俺を殴る。
マツは肯定的じゃないのかよ。
動揺する理由が分かんねぇ!!!!」



俺も、こけた青白い頬に苛立って殴った。



「俺は、一回既婚者に手、出したことがあるんです。だからこそ、後悔するような仕打ちだって知ってるから言ってんだ。」



マツの細い目が鋭くなった。
マツのその姿はいかにも動揺しているような感じで、初めての姿に俺も戸惑いを隠しきることができなかった。



「だから言ってるでしょうよ、“浮かれるな、早まるな、誤解するな。
時に現実見る事も必要ですからね。”って。」


口の端から血が滲んだような鉄っぽい味が咥内に広がる。
口うるさくマツが言ってきた。


“浮かれるな、早まるな、誤解するな。
時に現実見る事も必要ですからね。”



そりゃ、そうだ。
でも冷静になっても、熱病じゃないと言い切れる。
皐月さんの虜になってることは間違いないって言いきれる。


冷静になっても。


皐月さんが好きだ。









「俺は、知りませんからね。
ただ、俺は言っておきましたから。」
マツは俺の殴った痕をそっと撫でると“あーあ、商売道具が。”と言って楽屋に戻っていった。

俺は、当たり付き自動販売機でコーヒーを一つ買った。
寒くなってくる秋ごろ。


もうすぐ10月がやってくる。




その時だった。
俺の衣装のズボンポケットの中に入れておいたスマートフォンが鳴った。
しかも、メッセージじゃない。


電話の方だった。


じゃあ、果たして誰が掛けてきているのだろうか?
そんな思いで、手探りでスマートフォンを取り出した。










《着信:皐月》



その文字に、その着信音に。
俺は目を剥いた。

急いで“通話”ボタンを押すと、スマートフォンを耳にかざす。
スピーカーから騒がしい環境の中で電話している澄んだ声が聞こえてきた。




――――――……悠人さん。


「どうした?皐月さん。
こないだはごめんなさい。
冷静になり切れてなかった。

忘れてほしい。」





――――――今日、夜空いてますか?



今日の夜。。
今日の夜はスケジュールでいっぱいだった。


「ごめん、皐月さん。
今晩は、スケジュールでいっぱいで。」

そう断れば、皐月さんはそうですか、と悲しそうに聞こえた声色。



その時、気付くことが出来たらよかったのに。