男の手から逃れるように身を捩らせて3歩下がり向き合う。
「逃げるに決まってるでしょ!?こっちは被害者ですからッ!」
怒りと恥ずかしさと緊張があいまって、開けた唇が震えた。
その言葉に、言われた方は苦い顔をして気まずそうに首筋を掻き、
「あー……、そうですよね」
すみませんでした。
そうペコッと膝に手をついて頭を下げた男の髪がサラリと揺れる。
突然の素直な謝罪に、私は呆けてしまって、顔を上げた男と目が合う。
「謝りたかったんです。あれは完全にオレの失態でした。すみません」
「……なんで、ここにいるの。この時間は仕事なんじゃ」
「……あのお店で、従業員からお客様に手を出すのはご法度なんです。お客様からの戯れはある程度許されるけど、昨日のは明らかにこちらから手を出してしまったので。罰として1か月の謹慎くらいました」
「……実家暮らしですか」
「いえ、一人暮らしです」
一か月休みは痛い。
一人で生活費を稼いでいるのならば尚更だ。この人の仕事は特に、給料の定まりがないだろう。稼いだ分だけが財布に入る。
少しだけ胸がチクリとして、それが顔に出ていたのか男は小さく笑った。
「もしかして、心配してくれてます?さっきまで怒ってたのに」
「!べ、別にそういうんじゃ……」
そうだ。
こちらは完全に被害者で、私が引け目に感じるのはおかしい。
手の中に握りしめられたメモのことを思いだして、私はどこか嬉しそうにする男の視線から逃れるように顔を俯けた。
「……謝罪は受け入れます。それじゃあ」
この場から逃げたい。
それだけを考えて強張る太ももを動かした。
だができなかった。手首を優しく、しっかりと握られて、足が止まる。
ビクッと大袈裟なほど震えた体は、振りほどけ!と言う命令を聞いてくれない。
人通りのない、ひとつの街灯で照らされた道は酷く静かで、この世界にたった2人だけ残されたように感じた。
「―――あの時、オレがキスしたのはおねえさんのせいですよ」
「……は」
「あんな目で見つめられたら、誰だって誘われます」
何を言っているの。
「おねえさんの名前、教えてくれませんか?」
こんな時、咄嗟に浮かんだのは以前なんとなくやった乙女ゲームだった。
偶然街中で出会ったイケメンとひと悶着あり、時間に追われるように別れたその後に別の場所で偶然再会し、
『これって運命だよ』と言って交際が始まる。
まるでそれだ。
もしかしてこれは妄想の中の出来事かもしれない、と思った瞬間、手首を掴んでいる手の感触にこれは現実だとすぐに理解し、ジワリと手汗が滲んだ。
