今は昔で今ならビルの銀行のナイスな定期貯金を迷わず選ぶのだが、過去の私は堺東の三和銀行で給料を貰い、隣りの信託銀行で定期預金をしてた二十歳の頃の話である。そこには短大生時クラスメートだった山下さんが銀行員として働いていた。出世におめでとうと思いながらも、自分の現状をかえりみると腰掛け扱いされてるんだとの疑心暗鬼で狂ってた為、声をかける事すら出来なかった。私は私のサラリーマンとしてのスキルに疑問を持ってた。何故なら、研修期間をそうとは捉えられ無い職場環境だったからだ。釣具の品質管理検査係で品質管理の七つ道具を駆使して、不適合に対応するという事が私に期待されてたのだが、幼い私は忙しい検査員達の補助どまりの盥回しで、基礎の基礎しか教えてくれない上司に多大なる不安を感じていた。私的にはリールの製品検査(但しノギスや電動ドリルの力加減が手先が狂って必ず失敗に終わるので、一人立ちは無理だと泣いていた)におさまって速く安心したかったのだが、リール部品·ロッド製品(用品は流石に無かったが)·釣品質管理の検査の会議用資料係など、少しの作業を盥回しされてたので、私は定年まで生き残れるのか?怖くて怖くて何年も眠れない夜を過ごした。山下さんはバリバリの銀行員なのに私はなんてざまだ(笑)
婚礼の出来ない私に永久就職という未来は無く、他のわずかな腰掛けか専門職の女性社員と違ってストレスまみれだったと思う。生理現象も何年も無いくらいだからだ。英語が出来たら、それ専門職につき、短大の先輩に可愛がって貰う道もあったのだが、私は英語が怖かった。全授業震えて恐怖と戦っていた。高野山出身の紀見東中学校の先生は、亡き母と真言宗の話をして打ち解けててるので、私は可愛がられたのだが、怖くて怖くて、一生懸命平気なふりをしながら、授業を乗り切った。橋高の時もそうだ。リーダーじゃない方の先生はイケメンでモテ男だったのだが、恐怖心満タンで接してたら、授業の合間に「僕が嫌いな学生がいるね」と嘆いていた。すみません。先生。それは短大生になっても変わる事無く、ピーター先生というネイティブのイギリスのイケメン教師に、発狂するかというくらい、怖い思いをしてた。テストでピーターラピッド(C)ビアトリクス·ポターの作品「人参を盗む」作品を扱ってたので、後から振り返って好意を抱く様になった。ブランベリーヘッジのジグゾコレクターの私の推理と「知ってるつもり/(C)関口宏」によると