ちょう



綺麗、汚いは、一種の優劣。順位付けの一つであるのではないかと思う。だとするなら、本心に優劣をつけるのは、違う。


ひとの気持に優劣をつけて、どうする?


何様だ、という話だ。私はその差に勝手に苦しんでいるだけで、優劣をつける資格なんてないし、私ではなくて誰にも、ひとの本心を勝手にいい、悪いとくくるのはどうしたいのだろう。


そんなことしたって、何にもならないのに。それに気付いたのは今だから、私だってたいそうなことは言えないのだけれど。


────『綺麗って、なんでしょう』


綺麗ってなんだろう。汚いってなんだろう。


今までの自分は、それをどうやって決めていたのだろう。


もう分からなくなってしまったこと、誰かに聞いたって仕方のないことなのだろうということは分かっている。それでも、こうやって簡単に考えが変わることに、少しだけ驚いている。


嗚呼でも、彼女が書いていた。考えは変わる、と。


私の考えも、変わった。彼女のお陰で。ずっと変われないと、変わることはないと思っていたけれど、私でも変われることはできるのだと知った。


────『私にとっての綺麗は、……なんでしょうね、私でも、そうやって改めて訊かれると分からないものですね』


分からないのではなくて、恐らく自分の中に答えがないから、の間違いではないかと。


思っても、口にはできない。まだ知り合ったばかりで、どこまで踏み込んでしまっていいのか迷う。


そうだ、まだ知り合ったばかりなのに。大分無茶な質問ばかりをしていた。


────『あの、無茶な質問ばかり、すみません』

────『気にしなくて大丈夫ですよ。もしよろしかったら、これ以降もお付き合いしていただけると嬉しいです』

────『こちらこそ、よろしくお願いします』


ネットに逃げて来たときは、こんな話をする人ができるなんて思ってもみなかった。否、私が半ば突撃した様なものなのだけれど。


小説といった形で、本音を表現する人。もしかしたら、彼女だけではなくて、もっと他にもいっぱいいるのかもしれない。


何かしらの形を借りないと、本心を言うことは難しい。だから、人は嘘を吐くのだろうか。私の視えるものは変わることなく、人の本心は相変わらず視界に入っては来るけれど。


その本心たちに、綺麗も汚いもない。そこにあるのはきっと、ただの人の不器用さ。


私たち人間というものは酷く不器用で繊細で、だから本心を隠さないと現実世界では生きていけないんだろう。でもその本心が迷子にならないように、小説に乗せる人がいることを知った。もしかしたら、私の能力にも何か意味があるのかもしれない。


青く綺麗な、モルフォチョウを思い出す。


綺麗なら綺麗、それで終わり。汚い所を探さなくたって、別にいいんだと。


考え方を変えていけば、少しは生きやすくなるだろうか。


そんな、ちっぽけな私の、ちっぽけな願い。