「ねぇ、知ってる?」

海沿いの通りに二つの影。
夕陽に照らされながら歩く帰路、彼女は彼に問いかける。

「なんだ?」

「夏目漱石はね、“I love you”を“月が綺麗ですね”って訳したそうだよ」

彼女が彼に言ったのは、特段自慢できるような知識ではないごく普通の一般常識だった。
でも学生時代古典の授業をろくに受けていなかった彼は、その一般常識を知らない。彼女は彼が知らないと見越して言ったのだろう。

「なんでだ?」

「日本人は“愛してる”なんて言わないんだって」

「……」

「遠回しに言っても伝わるって」

「…でも、そんなのわかんねぇよ」

月が綺麗だ?そんなことで伝わるわけねぇだろ。彼はそう思った。

「遠回しに伝えたつもりでも、相手がわからなけりゃあ意味ねぇだろ?所詮自己満足だ」

ちゃんと、言いたいことは真っ直ぐ伝えないとな。
彼がそう言うと、彼女は突然立ち止まり、泣きそうな顔で、笑った。

「…そうだね」

「?」

「……君は、わかってくれないんだろうね」