パンドラと恋慕








 土日を挟み、新たな週が始まった。

 週始め特有の陰鬱な朝を迎え、学園へと足を運んだ。


 
 昇降口に入ると、時計はまだ7時半を指していた。グラウンドには、部活動の朝練をしているサッカー部がいたが、それ以外はまだ登校していなさそうだ。


 静かな朝は、精神が清らかになる。濁った塊が、清水に洗い流されていく感覚がする。



 外靴から上履きへ履き替え、教室まで歩く。



「先輩」


 2日振りの声に、立ち止まる。
 こんな粛々とした朝にふさわしくて穏便で、だから俺は恐怖に駆られた。


 振り返り、対面する。


「おはようございます」


 明石 ひな乃の姿は、何故か霞んで見えて、幻想的である。

 あの教室で別れた時の冷淡な様子は欠片もなく、柔らかい雰囲気を醸していた。 しかし、口元も目元も笑ってはいない。


 ツインテールをレースのついた臙脂色のリボンで結んでるその容姿は、やはりお嬢様にしか見えない。 自らを庶民と言っているが、庶民感のない女だ。


「“今日は”お早いのですね」


「今日は…?」


 意味深長な言い回しに、他ならぬ狂気を感じた。


「ひな乃、寝不足なのか?」


 それよりも気になるのは、ひな乃の目元にある隈だった。 折角の美少女顔が、隈のせいでげっそりと痩けた印象を与えている。



「__明け方って、カラスの鳴き声が聞こえてくるので、夕暮れの中にいるのではないかと錯覚します」


 それは、俺の質問に肯定したということだろう。

 つまり、彼女は昨夜眠らなかった、あるいは眠れなかったのだ。





「先輩、金曜のことですが」


 出た、ひな乃の特技(でもないが)、会話のぶつ切り。

 もしかして謝られるのかと思ったが、言葉の続きに俺は意表をつかれた。





「その女は、死神です。誰がなんと言おうが」




 真っ直ぐな視線。俺には、彼女が死神に見える。

 俺を、視線という名の鎌で殺そうとしている。



「__これは、警告です。
先輩が聞き入れてくだされば、それで構いません」



 ひな乃は踵を返し、俺から離れていく。あんなに意思の通った眼差しを、俺はかつて見たことない。




 彼女は俺を待ち伏せていたのだろうか。
 俺に忠告するために。


 ひな乃が昨晩眠れなかった理由。


 それは、俺が相模のことを尋ねたから__…?


 ただの杞憂なら良いのだが、もしも相模とひな乃が知り合いで、さらにその間柄は犬猿の仲だとしたら、機嫌を損ねるのには充分すぎる。

 あんな風に、“死神”と呼ぶくらいだ。眠れなくなるほど、嫌っているのかもしれない。