「暗いので…躓かないように気を付けて下さい」


 俺がその部屋に足を踏み入れたのを確認したひな乃は、扉を閉めた。内鍵を回し、外側から入れないように施錠する。部屋の中の空気が、時間が、止まった。

 嫌な、予感がする。危ない状況に見舞われているかもしれない、と思った。

 階段をひな乃に続き下っていく。

 鼻をつくアルコール臭。それは、降りるにつれて、強くなっていった。


 先にあったのは、上の空間よりもっと薄気味悪い、暗闇で、光のない一つの部屋、空間だった。


「浅井さんを、開放してちょうだい」


 突如、ひな乃が闇に向かって語り掛ける。

 背筋が凍った。



 闇は、答えない。依然、おぞましい空気感を蔓延させている。
強いアルコール臭に、苦しくなる。

 再び、ひな乃は口を開いた。


「私は、思い通りにはならない。だから、開放してちょうだい。その行為は、ただの打算だよ。

 ねぇ、どうして__連れてきたの?」


「………」


 ひな乃の声ばかり反響する。すると、


「…ひな乃っち?」


 浅井さんの、声だ!ひな乃の『浅井さんを解放してちょうだい』という言葉から、浅井さんがここにいると推測できたが、まさかほんとうにいるとは。

 目が段々 闇に慣れてきて、ふたつの人影が見えた。恐らく、ひとりは浅井さん、そして、もうひとりは__…。


「__…あなた、誰」


 ようやく返事が返ってきた。渇いた声色、その声の主は。


「相模…!」


 図書室で聞いた時の声と寸分違わない、相模の声。やけに落ち着いたトーンで、今、目の当たりにしてる光景__はっきりとは見えないのだが__に対して違和感が生ずる。


「先輩、浅井さんを駅まで送っていただけますか」


「でも、何でふたりがここにいるのか」


 それに返事せず、ひな乃は俺の隣から離れ、闇へ歩み出した。ツインテールがふわりと揺れ、そのシャンプーか何かの甘い香りが、アルコール臭と混ざり合った。


「浅井さんをお願いします。
 浅井さん、立てる?」


「……うん」


 ひな乃は浅井さんの手を取り、俺の元に戻った。

 その際にカランコロン、と缶がぶつかるような音が立った。ひとつだけではない、何個もぞろぞろと転がっているように感じられた。その空き缶たちがアルコール臭の、正体かもしれない。


 浅井さんはどうやら俯いていて、いつも__2回しか会ったことはないが__とは違う様子だった。そんな彼女から手を離すと、ひな乃は、ぶれない声色で告げた。


「ごめんなさい、取り敢えず階段を上ってこの家を出、駅まで行ってください」