浅井さんの最寄り駅に電車が停車すると、彼女は幼い子どもみたいに軽くジャンプしてホームへ着地する。

 電車とホームの幅が狭かったので咎める必要はなさそうだ。


「駿河先輩」


 浅井さんが振り返る。


「私って、__最低__ですよね…」


 え?と言う間もなく、電車のドアは閉まり、__浅井さんのひどく悲しげな表情が遠ざかっていく。



 何で、あんな物憂げな顔をしたのか。何が最低なのか__分からぬまま、しばらく茫然としていた。







✽  ✽  ✽





 最初は、すべて、憎悪でした。幸福そうなあの人が憎くて憎くて堪らなかった。だから、私は、じわじわとなぶるように、彼を殺そうとさえ試みた。



 私は、最低だ。ほんとうは分かっている、彼の気持ちを__。なのに、私は気づかない振りをして、彼を、振り回して。

 そして幾度も罪を重ねている。





 時は、動き出してしまった。

 羅針盤が反転してしまった。


 彼が侵され、赤紫色の毒々しい液体漬けになる前に__もしも、真実を知ってしまえば、私は、終わるだろう。
 文字通り為すすべがない。


 …また激しい耳鳴りが私を蝕む。脳を、視界を、身体を。頭がおかしくなる。視界を蠢くみみず、蝶、蛇。気持ちが悪くて、嘔吐してしまう。そして身体中を掻きむしる。


 …ずっと、誰かが見ている、幾数もの目が、ぎょろりと剥き、彼方此方から、見ている、見ている!お願い!もう、やめて!

 __私の許されるはずのない、恐ろしい罪業も、
それが、今もなお、やめられないことも知っている!

 いつか、私は地獄の業火に焼きつくされる。
罪に苛まれながらも、どこか、貴方だけは私の味方で居てくれると、優しく包み込んでくれると、愚直な夢を見ているから。それは、決して許されないことだから。


 そして、あの子は、冷たく、激しい劣情で彼を牽制し、警鐘を鳴らしている。…フリをしている。

 そう、すべて偽り。


 ほんとうは、あの、思いの詰まったティカップを床に叩きつけ、足で踏み、すり潰したくて堪らないはずだ!

 漆塗りのテーブルを刃で切り刻み、ソファはギタギタに切り裂き、棚からは茶葉を掻き出したくて、火をつけ燃やしたくて堪らない!


 私は、知っている。あの子は何も望まない聖人を演じ、思ってもいない支離滅裂なことをうそぶき、やがて、縛ろうとしていることを。

 同時に、滅茶苦茶にしてやろうと思っていることも。




 __暗い暗い、閉鎖したあの場所。一切の光は差し込まず、絶望が蔓延る、私たちの、場所。

 あの子はいつも、陶酔し切った目で言う。


『ここは、満ち足りたユートピアです』




 ねぇ、ほんとうにそうだと言うの?