次第に、ひな乃の呼吸の荒さは引き、表情も穏やかになっていった。

 至福に包まれた天使のように、目を瞑っている。


 漆塗りのテーブルに置かれた、ふたつの紅茶から出る湯気が、徐々に消えていく。

 生温くなっているはずだ。



 時間はゆるやかに感じられた。

  けれど、このまま時が止まれば良い。
  ずっと穏やかに過ぎ去っていけば良い。

 そんな風に、不覚にも思ってしまった。



 肩に伝わるひな乃の体温。

 ひな乃はたまに、というか結構な割合で冷めたような態度になるけど、当然ながら人間なので暖かい。


 俺は、不安だったのだと気付かされる。


 __ひな乃に、ほんとうに飽きられて嫌われてしまうのを、心の奥底では頑なに恐れていた。


 だからこそ、ひな乃の存在に畏怖していたのかもしれない。



 そう思うと、今、彼女が隣にいることが堪らなく愛おしくて、俺は微笑んでしまった。



 血管が薄く透き通る 白いまぶたも、
長くて柔らかそうな黒いまつ毛も、
小さく開かれた、白雪姫のような赤い唇も、

見れば見るほど綺麗で、視界に入るだけで圧倒される。


 ひな乃に湧くのは、征服欲や独占欲とかでは一切無く、今流れる穏やかな時のように温和な気持ちで__…。




 『その女は、死神です』


 悩みの種だったひな乃の言葉も、


 『これは忠告です』


 さっき、相模から受けた警鐘も、

遠い昔の、夢幻のように、どこかへ吹き飛んでしまった。




「…先輩」



 目を瞑ったまま、ひな乃が俺の名を呼んだ。

 いつになく、優しい声で。



「だいぶ、落ち着いてきたのですけど…、

もう少し、このままでいさせてくれますか」


「…うん」









  ✽  ✽  ✽






 時折、堰を切ったように、哀しみや憂いが私を襲う。

 その混沌としたメランコリーがとりとめなく、私の心を巣食う、侵食してゆく。


 血の涙が狂ったように零れ、私はじわじわと死んでゆく。



 なにが、私をそうさせたのか。

 きっと、それは何もない。何もないのだ。



 私は、理由なんかなしに、おかしくなってしまった。

 自覚していながらも、私はあるまじき行為に手を染める。染め続ける。




  あの去りし日、私は、禁忌だと知っていながらも、××を仕込んだ。


 __これは、ギシキなのよ。


 そんな風にうそぶいて、彼女を、彼女の魂を殺そうとした。



 純粋無垢に、彼女は受け入れた。朗らかに笑ってさえいた。



 それは、そうよ。あの時、彼女も幼かったのだから。