パンドラと恋慕





 __では、来週の水曜日。


 そんな風に言い残して、彼女、相模 千里は去って行った。

 きちんと、つっかけにしていた『銀河全集』は定位置に戻して。


 ひとり残された俺は、呆然と座り尽くすほかない。


「結局、どういうことだよ…」


 気が付くと、図書室には何人かの生徒が入ってきたのか、活気が溢れていた。

 華の高校生らしく、図書室だということを憚らず、それなりに騒ぐ女子生徒たち。

 何人かで、囲うように一冊の本に注目する男子生徒数人。


 __自分が望むことの許されない空間が、世界がそこにはあった。



 俺は“青春”まっただ中にいる彼らから逃げるように、相模に続いて図書室を後にした。






「どうだった?」


 自分のクラスに戻ると、スマホをいじっていた円谷が顔を上げて、そんなことを聞いてくる。


「どうって…。別になにもないけど」


「相模さんってどんな人なの?髪で顔すら分からないよね、あの人。顔見たことある?」


 長い前髪を掻きあげるとお目見えする、あの素顔は類稀ない気品を漂わせていた。

 それを円谷に説明するのは、なんとなく粋ではない気がしたので、嘘をつく。


「……いや、ないけど」


「すっごい美人だったりして。で、やっぱ告白されたの?」


 さっき、円谷が俺を見送った時の『頑張れ』発言の意図がようやく分かった気がする。


「俺は相模と初めて話したんだ。そんなの、あるわけ無いだろ」


「そうなの?この前、相模さんについて聞いてきたからてっきり多少の面識あるかと思ってた。

でも、駿河は人気あるから一目惚れとか十二分にあり得る。

ハンサムだし、あとそれに……あ。これは自分でも分かるだろうけど」


「ハンサムって言い回し古くないか?
それに人気なんて、一切ない」



 顔がいいとかは置いておいて…、円谷が言いたいのは俺の家柄のことだろう。

 俺の家、つまり駿河は、江戸時代中期頃から貿易商やら造船業やらで栄えていたらしく、大正時代には大戦景気やらで、全盛期を迎えたという。


 ルーツを辿ると、奈良時代や平安時代の貴族とも言うし、発祥と言われている現在の静岡県には、駿河家所有の別荘が多くあり、長期休業期間なんかにはよく訪れたりする。


 そんな家柄の事情があるので、昔から敬遠されてきたのだ。



 同様の立場の子たちと馴れ合うために、親は幼稚園からそこそこの私立に通わせてくれたが、それでも浮いてしまった。

 それはある意味では名誉なことなのかもしれないが、孤独な幼少期を送ってきたと思う。