「流人先生、午後から老健施設の健康診断って言ったっけ?」



「うん、聞いた」


流人はまだ医学書を読んでいる。


「午前の診療が終わったら、早いけどそこに向かわない?」



「うん、全然、いいよ。なんで?」



「その施設に行く途中に桜の木があるの。
この島に桜の木は、その一本しかないんだよ。

きっと満開の時期だから、その下でお昼にしない?」


流人はやっと医学書から目を離した。


「天気いいしね。了解、そうしよう。

でも、あと、一人くらい患者さん来ないかな?」


きゆは流人が飲み干したコーヒーカップを机から取り上げて、少しだけ肩をすくめた。


「流人先生…

田舎の診療所ってこんなものなの。早く慣れてね」


流人は椅子に座ったまま大きく伸びをした。


「時間が大切に使えるってことだ。

俺はきゆがそばにいてくれるなら、暇でも忙しくてもどっちでもいい。


一本しか生えてない桜か……
なんかいいよな…

俺にとってのきゆみたいだ…
柔らかくて穏やかで春の陽ざしみたいに優しくて……」


きゆは流人に急に見つめられて、すぐに目をそらした。


「でも、きゆは、俺だけのたった一本の桜の木だからな。

一年後の桜の季節には、俺と一緒に帰るんだぞ、オーケー??」


きゆは腕でバツを作り、笑顔を取り繕ってその場を後にした。