「……あぁ、お前はまだ眠っていていいんだよ? と言っても、目が覚めてしまったかな」

彼女がいつから起きていたかはわからない。
しかし、赤子といえど生活のリズムがあるかもしれないと考えたキュリオは小さな体を抱き上げてベッドから身を起こす。

"好きなときに眠るといい"と言葉を添えながら立ち上がると、昨晩のミルクのボトルが視界にはいった。

(おなかを壊してしまうといけないな。別のものを用意しよう)

 キュリオは一度、枕を背にして彼女の体を寄りかからせる。
キョトンとして大人しくしているその姿はとても可愛らしく、まるで人形のようだ。

「おなごは育てやすいと噂に聞いたことはあるが……これほどまでなのだろうか……」

 そして彼は足早に湯殿でその身を潜らせると、濡れた髪もそのままに赤子のもとへ急いだ。

「……なにごともなかったようだな」

こんな短い間に何があるわけもないが、安堵の息をこぼす王は次の行動へと移る。
ベッドの脇を通り、高貴な装飾がほどこされたクローゼットの前までくると扉を開き、今日一日の予定を思い描く。

(人と会う予定はない。目を通さねばならない書類はあるにはあるが……)

彼はズラリと並んだ数ある衣装の中から首元に銀の刺繍が美しい丈の長いものをひとつ取り出した。

横目で幼子の姿を確認し、手慣れたように着替えをすませていく。
それから最後に薄手のストールを手にすると幼い彼女の服をもってくるはずの女官たちがまだ姿を見せていないことを思い出す。

「レディが寝間着のままではいけないね」

そう言いながらキュリオはそっとベッドの脇へと腰をおろした。
枕に寄りかかった幼子はキュリオに視線を向けられるとニコリと微笑んで小さな手をこちらへ伸ばしてくる。

つられて手を伸ばしたキュリオの指先に彼女の手が触れるとわずかに力が込められ、自分よりも何倍も大きな体を自分のもとに引き寄せようとしているのか両手で指を掴まれる。

「……うん? 私にもっと傍へ寄れと言っているのかな?」

彼女はまだしゃべることは出来ないが、その表情でなんとなく否定と肯定の区別はつきそうだった。
穏やかな視線を向けて語りかけるキュリオの瞳を見つめたままの幼子は、真ん丸な瞳をキラキラさせて身を乗り出してくる。

「おっと……」

バランスを崩した小さな体が前のめりに倒れていくのを慌てて支えるキュリオ。軽く持ち上げてもう一度座らせてやると……今度は腕にしがみつかれ、袖を引っ張られる。

「ぅー」

(ふむ、これは……)

一瞬考えたキュリオは、小さく声をあげ何かを懸命に訴えてくる彼女を片腕で抱き上げベッドへ横になった。

「もう少しこうしていたいのかい?」

キュリオが小さな体をなでながら目を細めると幼子は嬉しそうに笑った。

「……あぁ、お前となら悪くない」

(……二度寝するのはいつぶりだろう……)

かつてのキュリオからは信じられない行動だった。
思い出せないほど随分昔のような気がする。もしかしたら王に即位する前かもしれない。

王であることに息苦しさを感じたことはないが、このような安らぎを与えてくれる人物がいたかどうかと聞かれればそれはまた別の話となり――

自身の濡れた髪で赤子が冷えてしまわぬようキュリオが穏やかな風をそっと呼び込むと、サラサラと頬を撫でるあたたかなそれは王の艶やかな銀髪を梳き、次第に水気を奪い去ってゆく。
もちろんこれは彼の魔法であるが、髪を乾かすために力を使うなど……如何にこのひとときを大切に思っているかが伺えた。

 五大国の歴史の中でも妃を娶めとった王の話は聞いたことがない。なぜなら、王の妻となったからといって彼らのように長い生命が与えられるわけではないからだ。
そして目の前にいるこの世に生まれ出たばかりの命さえ、いずれはキュリオを残し……その生涯を終えてしまう。

キュリオは指先で血色のよい彼女の頬をなで、見つめ合うように微睡まどろみながら、この幸せな時間を継続させる事ができるひとつの可能性を願った。

「…………」

(……悠久以外の民ならば或あるいは……)

もしこの国(悠久)に親がいないとわかれば、早急に他国へと調査協力を要請しなくてはならない。

(人以上の命といえば……精霊かヴァンパイアか、冥界、か……)

キュリオは複雑な想いにため息をつきながら、彼女の後ろに久しく顔を合せていない数人の王の顔を浮かべるのだった――。