そんな俺とオーナーの様子を微笑ましく見ていた新人の女性に向き直り、


「改めまして、神山 修二です。宜しくお願
いします」


自己紹介をして頭を下げる。
真っ直ぐな視線を向けられ、その瞳に吸い込まれそうな感覚と一緒に胸の鼓動が早くなる。



「初めまして、香坂 真琴と申します。飲食
店は初めてなので、ご迷惑をお掛けする
と思いますが、精進致しますのでご指導
の程…どうか、宜しくお願い致します」


そう言って香坂さんは、深々とお辞儀をした。
綺麗な声と丁寧な挨拶…
落ち着いた所作に引き込まれる。


ドキンドキンと、まるで耳の横に心臓があるみたいに、自分の胸の音を感じる。


何だ…これっ?
こんなの初めてなんだけどっ‼


顔だけじゃなくて、全身が熱くなる。
身体の中の血が沸騰しているように、動悸
が激しくなるのを、汗ばんだ両手をぎゅっと力を入れて握りしめることで耐える。
自分の未経験の感覚に動揺しているが、これ以上醜態を晒すまいと、表面上は平常心を装う。


「はい、一緒に頑張りましょう」


自分の変化に戸惑いながらも、笑顔を貼り付けた俺に、


「はい」と、微笑んだ香坂さんの笑顔に
ずきゅんと音をたて、心臓に何かが刺さったような気がした。



「それじゃ、今日も1日皆で頑張ろう‼」


オーナーの掛け声を合図に、それぞれが持ち場に付く。


「とりあえず今日は、感覚をつかんでほし
いので、メモを取りつつ、俺を…」


『俺を見てて』


指導に付く度に、何度も繰り返した台詞。
香坂さんに限って、何故言葉が発せないのか…
言葉を途中で切った俺を心配そうに見上げる香坂さんの視線を感じる。


「…えっと、俺の動作を、見てて下さい」


「分かりました」


素直に頷き、メモ帳を取り出す香坂さん。


自分でそう言ったものの…
香坂さんの視線に囚われて、いつもの調子が出せず、失敗こそしなかったが、緊張感で一杯の1日だった。



この時の俺は
恋が始まっていたことに、気付いていなかった。