「おい、姫宮姫乃! 聞いているのか!」

このお方は何故にいつもフルネームで私を呼ぶのだろう? と思い、ハッと我に返り、これでは不毛な堂々巡りではないか、と先とは違う返事をする。

「いいえ、社長。すみません。聞いていませんでした」

途端に飛んでくる、嫌味な声。

「俺の大切な話も聞かず呆けていたとは、お前も大物になったな」

「はあ、ご教授の賜物です」と言った途端、「ふざけているのか!」と叱られる。

「お前と話していると俺は時々気が遠くなる。だから、さっさと消え失せ出掛ける準備をしろ!」

現れたのは社長でしょう、とは言わず「はい」と返事をし、モップ片手に逃げるように更衣室に向かう。その背中に、社長の声が飛んでくる。

「その白長靴は絶対に履き替えろ! この前のようなことは御免だからな!」

嗚呼、そうだった、と嫌な思い出を思い出す。
やってしまったのだ、無意識に。
そう、白長靴でパーティー会場に乗り込んでしまったのだ。

だが、何故、社長も到着まで気付かなかったのだ! と今ここで逆切れしても仕方がない。いの一番に長靴を脱ぎ、仕事用である三センチヒールの黒い革靴に履き替えた。

これはその時、邸宅近くのショップで、慨嘆付きで社長が買ってくれものだ。
当然、ピカピカに磨かれている。
何故なら、それ以来、足元チェックが厳しいからだ。