「姫、社長の側を離れるんじゃないわよ!」
突然、真梨香様が私の鼻先に人差し指を突き付ける。
「意味が分からないのですが……」
「あらっ、知らなかったの?」
フフフフフと不気味な笑を浮かべ、話を続ける。
「あの花菱物産の娘っ子が社長のことをズット狙っていたことを」
へー、そうなんだ。本当に社長はモテるなぁ、と全く他人事だ。
反応の薄い私に真梨香様は面白くなさそうだが続けて言う。
「かなり積極的だったみたいよ。でも、社長の婚約の話が出て、ちょっと成りを潜めていたようだけど……」
チラッと私の顔を見ると、ニヤニヤ笑いながら言い切る。
「だから、きっと楽しい修羅場が展開される! ああん、一緒に行きたい!」
「こら、真梨香様、手を動かせ!」
途端に主任の声が飛んでくる。
主任、怒っていても『真梨香様』呼びなのね。
真梨香様はテヘペロし、八十キロの豊満な身体を魅惑的に揺らし仕事に戻る。
ああ見えて、彼女、料理の腕は極上だ。
パーティー会場では『貫禄の美味シェフ』で通っている。
真梨香様の後姿を見送り、人参を少し大きいさいの目に切る。
もしかしたら、一緒に行きたい理由ってそれ? 不純な動機だ。
それにしても、花菱物産のご令嬢って?
鳳凰の彩萌嬢も強烈だったが……真梨香様があんなに喜んでいるのだから、凄い人なのだろう。
トントンとまな板に包丁が当たる音が耳に届く。
私はこの音が好きだ。無心になれるから。
でも、何故だろう。いつものように心地いい音に聞こえない。
モヤモヤする気持ちのまま、私は作業を進める。


