果然。

当たり前ながら、婚約は解消となった。

これを聞いておさまらないのが、

「うちの娘を傷もんにしくさってからに」

と、怒り心頭でワナワナと震えた、つばさの母親の美樹である。

当然。

民事の訴訟が京都の裁判所に訴え出された。

わずか四ヶ月ほどの間に、兼康家では二つも裁判を抱える事態となったのである。

「まったくうちの男連中は、ポンコツばっかりで話にならない」

と、大輔にさくらがぼやいたほどである。

さくらと大輔の関係は、兼康家の騒動とは無縁なぐらいに順調そのもので、

「いよいよとなったら弘明寺の家も売って、浮いたお金でどっか郊外に家でも買いましょ」

などと、百合子が皮算用を始めたりした。