私は、大きく一つ深呼吸をすると、彼に近付いた。

「沢田様、大変申し訳ありません。私共のスタッフが、大変な失礼を致しまして。」

そう言い終わると、腰を90度に曲げて3秒待つ。

「君は責任者か?」

ここで、気持ちで負けてはならない。例え、謝罪相手であっても。

「はい、現場責任者です。この度は、ご遠方から脚をお運び頂いたにも関わらず、私の監督不行届で、沢田様には、大変不快な思いをお掛けしてしまい、誠に申し訳ございません。」

「こんな不快な思いまでさせられて、セッションに参加する気にはなれないよ。」

彼は、今日のメインイベントである「モータースポーツの将来について」というセッションのパネラーの一人なのだ。

『今度は、脅しか。』と心の中でまた毒付いておく。

「沢田様、本日はお忙しい中、お時間を調整して頂き、誠にありがとうございます。私共のご無礼を承知の上で、沢田様にはセッションにご参加をお願いしたく思っております。」

「無礼な上に、厚かましいな。」

私は、改めて、沢田様の目をじっと見た。

「厚かましいお願いであることは、重々、承知しております。ですが、沢田様のお話を楽しみにされている来場者が沢山いらっしゃいますので、どうか、この無礼を沢田様のお心に収めていただけませんでしょうか。」

私は、謝罪から感謝へと会話の方向性を切り替えた。
謝罪を続けることは、時に、火に油を注ぐ形になってしまう。

「そんなに言うなら、仕方がないな。今回が私で良かったな。他の招待客なら、怒って帰っているぞ。」

かまってちゃんの常套句だ。

「ありがとうございます。」

私は、もう一度、腰を90度に曲げて、頭を下げる。

川口さんも同じ様に、席から立ち上がり、頭を下げているのが、目の片隅で見えた。

「もう、いい。頭を上げてくれ。こんな事で、騒ぎにはしたくないからな。」

『最初に騒ぎにしたのは、沢田様じゃないか』と、
最後にもう一度、心の中で毒付いておいた。

「失礼致しました。それでは、控室にご案内させて頂きます。」