聡次郎さんの婚約者と知れたら他の従業員に距離を置かれ仕事をちゃんと教えてもらえないかもしれない。それは望んでいない。

「ふーん……」

私のお願いを無視して車は龍峯の駐車場に入って止まった。

「ありがとうございました」

お礼を言うとシートベルトを外して車を降りた。ビルの窓から社員が見ている可能性もあるから早足で車から離れようとしたとき、「梨香」と聡次郎さんに呼び止められた。

「なに?」

振り向くと車の近くにいると思っていた聡次郎さんは私と体が触れそうな距離まで近づいていた。驚いて聡次郎さんの顔を見上げる暇もなく私の頬に柔らかいものが触れた。それが聡次郎さんの唇だということをすぐに理解して体が固まった。

「ふっ」

唇が離れると耳元で聡次郎さんの笑う吐息が聞こえた。

「会社のやつらにバレた方が俺にとっては好都合なんだよ」

いたずらに成功した子供のような顔でそう言って、固まって動けない私を残して聡次郎さんはビルの中に入っていった。

我に返った私はコートの袖で頬をこすった。
突然すぎて心臓に悪い。頬にキスまでされると思っていなかった。婚約者としてここまで演技するなんて契約に含まれていない。次に会ったら文句を言ってやらなければ。



◇◇◇◇◇



「三宅さん、これ貸してあげる」

本店で川田さんに渡されたのは1冊の本だった。