「聡次郎と婚約していることは伏せて働いてもらいます」
「はい。わかりました」
言われなくてもそのつもりだった。ここで働く気は無かったけれど、働くとなったら全力で働く。聡次郎さんの婚約者だと知れたら働きにくいだろうなとは思っていた。
「他の社員やパートさんは梨香さんを新人のバイトさんだと思って接します。なので僕たちの呼び方も他の方と同じようにお願いします」
「呼び方とは?」
「例えば僕のことは社長で、母さんは奥様かな」
「ああ、はい」
「聡次郎は専務で、麻衣は……そのまま麻衣さんかな」
「麻衣さんという方は?」
「ああ、僕の奥さん。あとで紹介するね。会社も手伝ってくれてるから」
慶一郎さんは照れたように笑った。ご結婚されているとは知らなかった。この家のことだから慶一郎さんも政略結婚かな、なんて憶測をしてしまう。
「でもみんな麻衣さんって呼ぶんだ。本人もその方がいいみたいで。だから梨香さんも麻衣でいいよ」
「はい……」
満面の笑みの慶一郎さんはきっと奥さんのことが大好きなのだろうと思った。
「梨香さんには厳しく指導させてもらうのでそのつもりで」
奥様の言葉に不安を覚えた。聡次郎さんの婚約者だからって必要以上に厳しくされてはやる気も殺がれてしまう。
「母さん、余計なことはしなくていいんだ」
慶一郎さんの言葉に奥様は何も言わないけれど、きっとこの人は私に他の人以上に厳しい目を向けるだろう。
「書いてもらっていなかったアルバイト雇用契約書です」
慶一郎さんは立ち上がって私の前に1枚の紙を差し出した。



