「梨香、もういい! 俺が望むのは梨香なんだ!」
声が切実だ。私を真っ直ぐ見つめる視線を痛いほど感じた。
けれど聡次郎さんの顔を見返すことができない。ここで奥様から視線を外して聡次郎さんを見たら負けてしまうような気がした。
「いいでしょう。聡次郎の望むようにいたします」
奥様が私から視線を外して溜め息をついた。
「梨香さん、あなたは本当に龍峯には相応しくありませんね」
「私も同感です」
奥様は私に呆れている。老舗企業の先代社長夫人に対する態度じゃないことはわかっている。
けれど今時お見合いだの親族経営だのと考えが古いのだ。
長男夫婦が子供ができないことに悩んでいるのにプレッシャーをかけるから、ストレスで余計に子供ができないかもしれない。
次男に無理矢理お見合いをさせようとするから関係ない私がこうして巻き込まれている。
私を嫌っている上司と働くのも嫌だ。
奥様の言うとおり私は龍峯に相応しい人間じゃない。老舗の考えにはついていけない。
「花山さんが次のシフトも作ってしまったでしょうから、梨香さんが辞める時期は検討します」
来月上旬のシフトは出来上がっていたのを確認している。仕方がないから来月いっぱい勤めて退職してやる。
「それでいいです。お世話になりました」
形だけの挨拶をして会議室を早足で出た。
エレベーターがなかなか止まらない。業を煮やした私はエレベーターを諦め階段で下りた。
気持ち悪くて今にも倒れそうだ。麻衣さんに言って早く早退しなければ。



